新国立劇場中劇場 13時開演
作:オスカー・ワイルド
翻訳:平野啓一郎
演出:宮本亜門
音楽・演奏:内藤和久
衣装協力:㈱ヨウジヤマモト
出演:多部未華子、成河、麻美れい、奥田瑛二 / 山口馬木也、植本潤、櫻井章喜、鈴木慎平、平川和宏、水下きよし、ヨシダ朝、戸井田稔、水野龍司、春海四方、神太郎、遠山俊也、池下重大、谷田歩、森岡豊、漆崎敬介、星智也、内藤大希、坂本三成、右門青寿、斉藤直樹、ベータ、西村壮悟、原一登、川口高志、林田航平
劇場に入ってまず目を惹くのが装置の豪華さ。ヘロデ王の邸宅が眼前に広がるのだが、そこは純白の世界。床や什器など細かなものに至る全てが白一色で覆われている。その下層には、石垣が詰まれた造作の牢獄が設えられており、上部フロアとの明暗がくっきりと対比されるような仕掛けになっている。
牢獄には囚われているヨカナーンの姿が、終始、観客の目に晒されることになる。今回は2階席からの鑑賞であったので、牢獄の様子がはっきりと見え、牢屋の周りをヒタヒタと水が敷き詰められている状態なども認知出来たのだが、1階席からは牢獄は完全に舞台下となってしまうため、2階から観るのとは、全く印象を異にするのではないかと思う。
フロアの奥には壁が立ちはだかっており、その向こうは、どうやらパーティーなどが行われている広間のようだ。奥の部屋で人が蠢く様子が壁に影として投影されるという手法で、パーティーの賑やかな雰囲気を伝えていく。
衣装協力が、㈱ヨウジヤマモトである。サロメは純白の衣装であるが、その他の登場人物たちは、様々なバリエーションに富んだ漆黒の衣装に身を包んでいる。唯一、ヘロデ王だけが豪奢な真紅のガウンを身に纏い権勢を誇っている。
本作は、まだ幼さを残すサロメを物語の中軸に置き、その周りを右往左往する大人たちを切り取っていく様が、簡潔に描かれていく。ドロドロな意識が渦巻く方向性に物語を傾かせることなく、登場人物たちの突出した感情部分のみを、ピンセットで摘まんでいくが如く展開させていく。物事が起こったその場において、哀しみや怒りの感情などは適宜処理され、物語はサロメを中心とした物語にトントンと収焉されていくことになる。
サロメは、ヘロデ王にダンスを見せた対価として、ヨカナーンの首を要求する。この決断を、サロメの幼さゆえの言動であると本作は捉えていく。自分の魅力に自信満々なサロメは、自分に全く見向きをしなかったヨカナーンに鉄槌を喰らわせたかったのではないだろうか。また、サロメが嫌悪するヘロデ王が、予言者ヨカナーンを処遇することを怖れているため、徹底して困らせてやろうという思いもあったに違いない。大の大人が、サロメに翻弄されていく様がアイロニカルに描かれていく。
サロメを演じる多部未華子は、堂々とタイトルロールを演じきる。少女性が全面に出た役作りで、無邪気さゆえの言動が大人を巻き込み、後戻りできない状態へと突き進んでいくパワーを放熱していく。欲を言えば、その無邪気さの奥に潜んだ、意図的な意地悪さが見え隠れすると、サロメという女の奇奇怪怪な複雑さが更に露見したきのではないかと思う。
成河は、偉丈夫なヨカナーンのイメージを覆し、迷うことのない預言者を繊細に作り上げていく。サロメに見向きをしないという自身のスタンスを、はっきりと貫き通す。麻美れいは、もう、その存在自体が王妃である。本作に高貴な雰囲気が与えられたのは、麻美れいという存在に他ならない。奥田瑛二は虚勢の威厳を振り撒く小心者のヘロデ王を造形していく。物語が深刻になり過ぎない振幅の微妙なバランスを保ちつつ、サロメの手の平で右往左往する様をやや戯画化して演じ面白い。
ラスト、流れ出る血がだんだんと白い床に広がっていく様や、また、その様子を天上に設えられたミラーが映し出し、下界を見守る月のような役割を持たせていくなど、宮本亜門の美意識に貫かれた手法が「サロメ」を現代風へと変貌させた。スタイリッシュな「サロメ」であった。しかし、表層に凝った分、登場人物たちの意識の掘り下げ方が平坦になったきらいがあり、深みを欠いた表現に留まってしまったと思う。
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