黒澤明の名作映画「生きる」を舞台化するのだという。しかもミュージカルとして再生させるという本企画に興味深々、怖いもの見たさ半々で劇場へと出向くことになる。さて、お手並み拝見と舞台と対峙するが、黒澤作品の物語展開は遵守しつつも、舞台作品として観客を楽しませる要素をギュっと詰め込んだエンタテイメントとして見事に成立していることに惹起してしまった。
改めて、黒澤明の偉大さに感じ入ることになる。胃がんで死期が迫った男の人生の閉じ方を42歳にして見事に描ききった氏の才能に驚嘆すると共に、今でも、何ら古びれることのない普遍的な人間の生き様を描ききっていたことに思わず心が共振してしまう。
本作は死に向かう男の物語という捉え方ではなく、男の中から人間の生命力を掬い出し「生きる」ために様々な旅路を辿る男と、その男と時を共にする人々の人間模様を繊細に紡いでいくスピリットは本家そのままに、見事に換骨奪胎しているのは見事である。
物語が男が勤める、とある市役所からスタートするのは映画版と同様だ。陳情する主婦たちが市役所の各部門をたらい回しにされる光景を見せながら、責任を回避する体制側の責任を回避する体質をコミカルな要素を振り撒きながらでスピーディーに斬っていく。
主婦たちも、役所の男たちも、年齢層も様々に、色々な個性が集結しているキャスティングがとてもいいなと感じ入る。時に、プロダクションでこれから売り出していきたい眉目秀麗な俳優がエキストラで作品を彩ることも少なくはないのだが、これってリアリティが欠如するんですよね。本作にはそうした都合は廃されているので、スッと作品世界に入っていけるのだ。
市役所勤めの中年男を演じ物語の中心に聳立するのは市村正親。身体の異常を感じ病院で診察してもらうと胃潰瘍だと診断されるが、胃がんなのだと悟ることになる。そこから、貯金から金を引き出し、飲み屋で知り合った小説家と夜の街で遊び回ることになる。
第1幕の市村正親は地味な男を静かに演じきる。歌唱はというとゴンドラの唄を静かに歌うだけで、派手な見せ場は皆無である、と思っていたら、第1幕の最後に、思いの丈を絶唱して観客の耳目を一気に集め期待に応えていく様は圧巻である。この構成、ニクイですね。
第2幕は、映画ではあまり描かれなかった、男とその回りの人々との関係性にグイと深く斬り込んでいく。特に、市原隼人が演じる息子と男との思いの行き違いが、物語後半の核ともなっていく。親父を思う息子の心情が物語を更に豊かに彩っていく。市原隼人の独唱まで用意されているのだ。市村正親も胸に抱えた苦悩を歌を通して表現していく。人間の様々な思いが交錯していく。舞台に耳目が釘付けになっていく。
あの「生きる」がこんなにも見事に、きっとどんな世代でも楽しめるミュージカルとして立ち上がるだなんて想像も出来なかった。難題をクリアした隊長、宮本亜門の才能を再認識することになった。再演されたら是非皆にお薦めしたい秀作ミュージカルの初演に立ち会えた幸福を噛み締めることになった。
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