2018年 2月

アリソン・ベクダルが描いた、自分と家族との関係性を回顧するコミックを原作とする同作は、実話に基づいているという。自らがレズビアンであることを自覚をして両親にカミングアウトした4ヶ月後、ゲイ(バイセクシュアル?)であった父がトラックに惹かれて死んでしまうことになる。自殺だったのであろうかという含みも感じられる。それから20年近く経ち、過去の出来事を記すことで、作者は父や家族と対峙する。

万人受けする内容ではないかという向きもあろうが、人間誰しもが抱えているであろう生きることの葛藤が観客の心をしかと掴み、作品賞を含む5部門のトニー賞を受賞することになったのであろう。

ブロードウェイ・ミュージカルとして、ある1家族のごく私的なセクシュアルな要素が詰まった内容が描かれるというのも異例であろうが、上演時間が休憩なしの1時間40分程度であるというのも珍しいと思う。しかし、これくらいの上演時間というのもいいものですね。ソワレの場合でも、帰りの電車の時間のことなど考えないで済みますからね。しかも、内容がギュっと凝縮されている。集中力も高まります。

音楽のジニーン・テソーリ、脚本・歌詞のリサ・クロン共女性で、日本版を受けて立つのは小川絵梨子の演出。原作も含め、女性のスタッフがメインを占めているのも新鮮だ。どんな辛辣なエピソードもオブラートを掛けずにストレートに表現していくのだが、その心の奥底にある心情をしっかりと掬い取り、強靭さと優しさを抱合しながら描く創作者たちの強い意思の放熱に、ついついあてられてしまうようなのだ。

現在のアリソンを演じる瀬名じゅんが、家族の過去を振り返りながら見守るという立ち位置で物語は展開していく。幼少期の家族、アリソンの大学生時代、そして現在とが、入り組み同時に存在する舞台は、観る者の知的好奇心を掻き立てられ、なかなか刺激的だ。思考を巡らせながら、舞台上で生きる人々の思いに、観る者も分け入っていくことになる。

登場人物たちの心の葛藤が歌で表現されることになり秀逸なナンバーも揃っているのだが、概してストレート・プレイのような印象を受けるのは何故だろう。人間たちの生き様がメロディーに掻き消されることなく、ストレートに伝わってくるからであろうか。

中心にスクッと立つ瀬名じゅんの柔らかな存在感が物語全体を優しく包み込む。吉原光男が父・ブルースを演じるが、アンビバレンツさを内包する役どころを繊細に紡いでいく。大学時代のアリソンは大原櫻子が担い、自らの資質を受け入れながらカミングアウトするアリソンを溌剌と演じていく。夫の嗜好性を知りながらも受け入れてきた母だが、その母・ヘレンを演じる紺野まひるは、母と妻との間で揺れ動く心情を丁寧に表現する。

大学時代の友人ジョーンなどを横田美紀が、ブルースが心を寄せるロイなどを上口耕平が演じ、若々しいフレッシュなアクセントを作品に付与していく。幼少期のアリソンの笠井日向の歌唱が心に残る。ナンバー「鍵の束」は、観劇後も耳で木霊する程だ。弟・クリスチャンを楢原崇琉が、ジョンを阿部稜平が演じ、無垢な少年を体現する。

瀬名じゅん、大原櫻子、笠井日向の3人のアリソンが共に歌う、フィナーレのナンバーが圧巻だ。時空を凌駕し同時に存在する3人のアリソンの心の叫びが、観る者の心を震わせる。白眉である。素晴らしい楽曲が多い中においても、作品を締め括るに相応しい1曲だと思う。

どのような境遇の人々にも、どこか共振するところがある作品だと思う。再演を是非望みたい作品だと感じ入る。もう、どのような内容かは分かっているので、友人たちを誘い、観劇後に語り合うことを楽しみたいと思う逸品である。

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