2016年 7月

本作は、フォー・シーズンズのヴォーカルであるフランキー・ヴァリを演じる中川晃教の他の3人のメンバーはダブル・キャストとなる。TEAM REDとTEAM WHITEという呼称でチーム分けが成されている。観劇した回は、TEAM WHITEの公演となる。

アメリカ版の公演は未見であるが、クリント・イーストウッド監督の映画版は鑑賞済みであった。仲間同士の絆の強靭さが胸を打つ、捻じれたサクセスストーリー・ミュージカルの傑作であった。日本公演版で注目したいのは、演出を担う藤田俊太郎の手腕である。蜷川幸雄の下で培った演出術をどのように展開していくのか、才能は果たして受け継がれていくものなのかという点に注視していくことになる。

中川晃教は「モーツァルト」で初見しその才能に驚嘆させられたが、以降、表現力に更に磨きかけ、現在では日本のミュージカル界に無くてはならない存在となっていると思う。そんなミュージカル界に於いても、この高音域を操るフランキー・ヴァリを演じられるのは、中川晃教しかいないのではないかと感じ入る。このフォー・シーズンズの歌を歌える人が、日本に存在していたのですね。その声色に惹き付けられ、心身ともに絆され、癒されていくようだ。

もちろん、TEAM WHITEの面々も素晴らしい。中河内雅貴はグループのリーダー、トミー・デヴィ-トを演じるが、勝手気ままな傍若無人振りが嫌味なく造形され、フォー・シーズンズを愛してやまない愛すべき困った人を的確に捉え見事である。

後に参加するボブ・コーディオは海宝直人に委ねられ、グループから少し引いたスタンスを取りながら、歌曲のクオリティを上げていく才人振りを、ピュアさを維持しながら爽やかに演じていく。

グループの年長者である初期メンバー、ニック・マッシをベテラン福井晶一が演じていく。ずっとグループを下支えする存在であったが、そんな自分の在り方をある契機に方向転換するその暴発を、違和感なく繊細に紡いでいくことで、役柄に説得力を与えている。

強烈な個性とスキルを併せ持つ俳優陣の存在感が、圧倒的なインパクトを放出していく。やはりミュージカルの醍醐味はスターのキラキラとしたオーラの洗礼を浴びることなのかもしれない。そういう意味で本作は、作品の魅力が俳優陣によって完璧に開花した幸福感に満ち満ちている。

一流の素材を料理するのは、藤田俊太郎。まずは、出演者の魅力と資質を全開に引き出すことが出来たのは最大の功績であると思う。メインの4人の誰もが変に突出することなく、アンサンブルを遵守したグルーブ感のバランスがとても心地良い。勿論、俳優陣が、他者との距離感をきちんと図れるクレバーさを有しているに相違ないとは思うが。

また、どの場面においても、脇や後方で彼らを見つめる人々がきっちりと描かれ、背景としての役割ではなく、人間として生きている姿を活写していく。様々な視点が交差しながら、クッキリと人物の想いが浮き彫りになっていく様はとても良い。

ステージの背景は、ステージ衣装が掛けられた楽屋風な設えであるが、特にそこで俳優陣が着替えたり、談笑したりする光景が描かれたりはしないが、ステージものの雰囲気造りには大いに貢献している。上下にアットランダム風に積まれたモニターは、シーンの合間に効果的に活かされている。また、かつてのハリウッド映画のような、車に乗った背景のスクリーンに景色が流れるシーンなども挟み込まれ往年の時代性を醸し出す。センターに据えられ上部の楽屋装置にまで伸びた長大な階段は、劇場空間の突端までをも活かしきる。

スピーディーに展開する物語を的確に、シーンごとにくっきりとした印象を刻印する演出はキレが良く、フレッシュな瑞々しさに満ちている。どの場面にも満身創痍の全力投球で臨むアプローチに手慣れた感がゼロで新鮮だ。

息つく暇もなくステージに釘付けになる強烈な磁力を放ち白眉である。本作に携わった方々の更なる飛躍を大いに期待したい。再演も楽しみである。

才人・松尾スズキの描く演劇の新作は、ビビッドに現代を現す切っ先の鋭さで観客を完全にノックアウトしていく。圧倒的に面白い。

物語の設定はリアルな現実を想起させながらも、ファンタジーと暗喩との狭間を行き来しつつ、エロス・タナトスの領域をも軽々と凌駕し、独自のミラクル・ワールドを形成させ圧巻だ。

アジア某国でテロリストの捕虜となった恩ある先輩を救出しに現地へと赴くライターと女優のその妻。そして、アジア某国でゴーゴーボーイとして生きる青年の世界とがセンターに聳立し、物語を牽引していく。テロとエロとが交錯する様は、まさに現代の縮図であり、社会問題の一端の表出でもある。

ヘビーなテーマを深刻なまま提出する安易な道を、松尾スズキは選ばない。深刻な現代の暗部を笑い飛ばすが如く、実に活き活きと軽妙に、そのポップな様相に猥雑さも交えながら、エンタテイメントとして提出する才覚に惹起する。

個性が大渋滞の登場人物たちの言動が、かなりカリカチュアライズされて描かれていくが、表現次第によっては、オーソドックスな人間ドラマにも成り得る普遍性ある戯曲の強靭さが際立っている。煌びやかな演出に心躍るが、同戯曲は、社会派台詞劇としても成立し得る可能性を十分秘めていると思う。松尾スズキ戯曲の演出家競演企画などは、アリなのではないかと思う。手掛ける人の考えにより、全く違う成果物が出来上がるに相違ない。

その圧倒的な松尾スズキのオリジナリティに拮抗する、個性際立つ俳優陣の競演が、作品世界にナマナマしさを付与し、演劇という架空の絵空事に血肉を通わせていく。

猛者どもがひしめく中にあって、阿部サダヲは受けとも言うべきスタンスで、巻き起こる事件や理不尽な展開を全て飲み込み昇華させる。直面する出来事に即座に対応出来る曖昧な余地を残すことが、心身の中に沈殿する自己の真情を炙り出すことに繋がっている。

その妻である一旦活動を控えていた女優を寺島しのぶが演じ、今では旬を通り越した存在である現状も筆致され、ままならなさい今の生活の心情をリアルに具体化していく。高慢と不安さとが綯い交ぜになった複雑な心理を軽やかに演じる寺島しのぶの懐深さに、グッと感じ入る。

女優のマネジャーを演じる岡田将生は、軽薄な現代青年の飄々した表層的な部分を拡大し、決して心理の奥底に踏み込まない判断が、結果、この軽薄な男に親和性すら抱かせてしまう魅力を放ち面白い。また、岡田将生はアジア某国のゴーゴーボーイも演じ二役を担っていく。この役柄ではゴーゴーボーイであることの悲哀を感じさえつつも、人間が秘めるしたたかさも感じさせ、重層的なアプローチで、二役全く違った造形の仕方で観客を楽しませてくれる。

バズーカ砲弾の様な皆川猿時は、もう何だか圧倒的な存在感を放ちまくり、目を離すことが出来ない。どんな役柄で登場してもどれもが皆川猿時なのだが、どの側面を切り取っても面白過ぎて堪らない。松尾スズキは登場するだけで、これだけ個性の塊の様な人々を超越する違和感を醸し出し独特だ。吹越満は、アジア某国で捕らえられた脆弱なインテリ崩れのジャーナリストのさもしさを少し斜に構えて捉え、作品にシニカルなアクセントを刻印する。

伊藤ヨタロウのカリスマ性、池津祥子の豪快さ、宍戸美和公や平岩紙の柔らかな変幻自在振り、村杉蝉之介の狡猾さ、顔田顔彦が醸す仄かな色香、近藤公園のエッジの効いた切れ味、岩井秀人のつかみどころのない存在感が逆に存在感を増すという、演劇界を支える強靭な屋台骨のめくるめくような才能の御仁に、翻弄されるこの楽しさといったら!

一見、下世話とも見てとれるシーンが紡がれていくのだが、その奥底には現代世界が孕む捻じれたカオスを松尾スズキ独自の配合で露見させ、観客の笑いを誘いながらもしっかりと思考させ見事である。2016年にしかと刻印された、現代世界の清濁表裏をエンタテイメントとして抉り出した快作であると思う。

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