三谷幸喜が、18世紀に生きたイタリアの劇作家ゴルドーニーの同名作の翻案と演出を兼ねた本作。原作は、ヴェネチアの金持ちの未亡人が、イギリス、フランス、イタリア、スペインの貴族の求婚を受けるが、一計を案じて皆の真意を暴いていくという喜劇。三谷幸喜は、未亡人を結婚して引退していた女優に、貴族たちを各国の映画監督たちへ、舞台をヴェネチア映画祭開催時へと翻案した。
新国立中劇場のなだらかな段差がある客席の下方には、ホテルの石畳のパティオを模した空間が広がっている。パティオの向こうには運河が設えられ、彼方には対岸のあるホテルの明かりが明滅している。まるで、野外劇場で観劇しているかの様な開放感ある美術を目の前にすることで、観る者の感覚も既に、海外へとショート・トリップしてしまうかのようだ。
物語は、ただ、ひたすらに旬の役者たちが疾走しまくる可笑しな光景が連綿と続いていく。この作品を通して、何を伝えたいとか、こういう人間の生き様を見て欲しいというような、創り手のエゴは一切排され、観客を楽しませることに徹したエンタテイメントとして爽快だ。
しかも、居並ぶ俳優陣の豪華さもまた一興だ。様々な出自だが、その誰もが今、舞台で活躍している実力派揃い。よくもここまでのキャスティングが組めたなと感じ入る。ひとえに、三谷幸喜の求心力の成せる技か。シスカンパニーのプロデュース力、故か。
中心に聳立するのは、年端のいった女優役も板についた大竹しのぶ。ほぼ出ずっぱりで、物語を中心から牽引していく。4人の求婚者からのアプローチに対するそれぞれに異なる対応に一喜一憂する姿を目くるめくように演じていく。特に後半、変装した大竹しのぶが、それぞれの映画監督から真意を穿り出す丁々発止のやり取りは爆笑ものだ。大竹しのぶがキャスティングされたからこそ、この物語が成立したのだと感じ入る。
段田安則が女優と昔馴染みのイタリア映画監督を飄々と演じていく。変に媚びることなく、女優に真摯に思いのたけを伝える様を、コミカルな風合いで生真面目に演じる様が可笑し味を醸し出す。
岡本健一が女ったらしのフランス人映画監督を、カリカチュアライズした表現も愉快に洒脱に演じていく。中川晃教はイギリス人のジェントルマンさを装いつつ、情愛にほだされない冷静な映画監督を造形する。時に、美声も披露し、観客を湧かせていく。スペイン人の映画監督を高橋克美が演じるが、このホテルに滞在しておらず、運河からやって来て運河に帰るという際物的な感じが、作品に可笑しい味を付与していく。情熱と冷静を混在させながら、楽しんで演じているのが、観る者にも心地良い。
八嶋智人が狂言回し的な役回りで、手綱裁きもよろしく居並ぶ猛者たちをいなしていく演劇は創りものなのだという、いい意味での器作りを八嶋智人は担い、弾けまくり心地良い。浅野和之が絶品だ。時速3メートルで歩く老爺が、何とも愛らしく、馬鹿馬鹿しくも面白いのだ。まさに、怪演である。
女優の父を演じる小野武彦のちゃらんぽらんな優しさ、木村佳乃のコケティッシュでちょっと天然な美人妹振りが、大竹しのぶを側面から支えていくことにより、それぞれの人物像にも、ひいては作品にもふくよかさを加味させていく。仕事と女であることのバランスの取り方が揺れ動く峯村リエ。段田安則演じる映画監督の秘書を演じる遠山俊也のぶれることのない師弟愛が作品に安定感を与え、業界人のミーハーな側面を表現するイギリス人プロデューサーを春海四方が軽妙に演じていく。
まるで、夏の夜に打ち上げられた大輪の花火のような賑々しい楽しさに満ちたコメディであった。三谷幸喜の夏の顔見世興行は、観る者に幸福感を与える娯楽作として傑出していた。
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