フェリーニの名作「道」を舞台化するとは、何と大胆なプロジェクトなのであろう。デヴィッド・ルヴォーはかつて、フェリーニの「8 1/2」を原典とするミュージカル「ナイン」を演出したことがあるが、そんな縁がこの企画実現に結び付いたのであろうか。フェリーニを経験したデヴィッド・ルヴォーが立ち上げた音楽劇に、観る前より期待感が高まっていく。
劇場内に入ると、舞台上に円形のアクティング・エリアが設えられており、その奥には客席が存在しているため、演者は死角を持つことはできない設定だ。しかし、観る者、観られる者がはっきりと分かれていない空間には、何故かしら一体感が立ち上がる空気感が劇場内を覆っていく。
カラフルな色彩がステージを彩り、衣装はリアルさにファンタジーの要素が配されたハッピーな空間がクリエイトされている。フェリーニが描いたネオリアリズムの世界が、音楽劇のメロディも相まって、祝祭空間へと転じていく。舞台化するにあたり、オリジナルのテイストを変換し、独自の世界観を展開していくのだという姿勢が明確に刻印されていく。
ザンパノを演じるは草彅剛。サーカスで怪力をウリとする芸人だ。アンソニー・クインと比較すると大分イメージは違うが、マッチョに身体をつくり上げた存在感は強烈で、作品の中心にしっかりと屹立している。横暴でぶっきらぼうだが、根の優しさが染み出る人物像を重層的に創造し見事である。そして、やはり、華がある。
そのザンパノに金で売られ助手を務める少女ジェルソミーナを担うは蒔田彩珠。舞台初出演というフレッシュさが無垢な役どころとリンクする。ジュリエッタ・マシーナのインパクトは無いが、ザンパノを疎ましく思いながらも、段々と意思を疎通させていくプロセルを丁寧に紡ぎ、観る者の憐れを掬いとる。
海宝直人は閉塞感あるジェルソミーナの世界の傍らに咲く、一輪の花の様な存在、サーカス仲間のイル・マットを演じていく。もしかしたら、この苦しい現実からこの男が救い出してくれるかもしれないという天使の役割を担い、作品に清涼感を付与していく。
映画にはないキャラクター、モリエールを佐藤流司が担っていく。作品の周縁に立ち、物語を脇から支える存在は、同作に於いては重要なファクターとなっていく。映画とは表現を異にするのだというクリエイターの思いが込められたこのモリエールは、哀しさの中にある光明を浮き彫りにし、作品に重層的な奥行きを与えていく。
集客は大半は草彅剛が担っているのだとは思うが、そのことが新鮮な逸材が登用出来るプロジェクトが成立する基盤を醸成している。この新鮮な布陣は、観客に予測不可能なサプライズを与え、俳優と観客とが良い化学反応を起こし、劇場内が沸騰する。
モノクロームの古典的名作を、現代の視点で色鮮やかな音楽劇として蘇えらせたデヴィッド・ルヴォーは、また、新たな地平を開拓することになった。デヴィッド・ルヴォーの作品選びは、独特の感性が光っていると思う。次回はどんな作品を創り上げてくれるのか、期待値は上がる一方だ。
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