「ひょっこりひょうたん島」は、1964年から1969年の間にNHKで放映されていた人形劇である。現代に続くまでその威明は燦然と輝いており、リアルタイムで観ていた者も、後にアーカイブで目撃した者も、それぞれがそれぞれの「ひょっこりひょうたん島」のイメージを抱き続けているであろう名作だ。作者は井上ひさし、山元護久、音楽は宇野誠一郎である。
串田和美の陣頭指揮の元、その原典を現代へと甦らせた本作は、タイトル前に「漂流劇」と冠している。その「漂流」というワードが創作の肝となっている。そもそも「ひょっこりひょうたん島」は、海洋を漂流している島であるという設定だ。一定の場所に留まることがない不安定さが作品全体を覆いながらも、その儚さの隙間から生気がムクムクと立ち上がるというアンビバレンツな共存が、観客に対し、そこはかとない刺激を放熱していく。
物語は「ひょっこりひょうたん島」を舞台とした様々なエピソードが絡められながら進行していくが、宮沢章夫と山本健介、串田和美の筆致は、登場人物たちの個性際立つ存在感をフィーチャーさせていく。役者陣は、出自も様々な魅力的な御仁が集まっており、役柄の個性と俳優個人との魅力とが掛け合わされていく。
生の音楽演奏は串田和美演出の楽しみの一つであるが、本作でもその期待に十分応えてくれる。4人の音楽家が奏でる音楽が醸し出すライブのインティメイトな柔らかさが、舞台と観客との間を優しく繋いでいく。音楽は宮川彬良が担っていくが、宇野誠一郎が創造した世界を踏襲しつつ、シーンごとに立ち上がる登場人物たちの思いや、世界を取り囲む環境を取り込みながら、独自のオリジナリティを創造する。
喜劇でも人間ドラマでも冒険活劇でもない、茫漠とした皆の記憶の中にある「ひょっこりひょうたん島」がムクムクと立ち上がっていく。登場人物たちはそれぞれに存在感はあるのだが、何故か実在感がないのだ。物語だけではなく、人々の心も、まさに“漂流”していると言えるであろう。見事なのがその演出家の意を汲み、そこはかとなくカリカチュアライズして役柄をふくよかに造形した俳優陣だ。
アンサンブル劇であることを皆がしっかりと認識をしているため、突出し過ぎる自己顕示欲を誇示する輩は本作には存在しない。井上芳雄のマシンガン・ダンディや、安蘭けいのサンディ先生はキラキラとしたオーラを放ちながら作品のセンターに聳立し、アンサンブルを牽引していく。そして、重鎮・白石加代子が軽やかな出で立ちで、作品に温かな軽妙さを付与していく。
小松政夫が登場しているというのが、何とも嬉しいサプライズなキャスティングだ。昭和の芸能の香りを体現する氏の存在感が、「ひょっこりひょうたん島」の原典の時代を今の世にブリッジする役割を担い、観客にリアルな感覚を届けてくれる。
真那胡敬二、大森博史は串田作品に存在しているだけで作品に安定感をもたらし、中村まことの洒脱が飄々とした雰囲気を醸し出す。山下リオ、小松和重、山田真歩、一色洋平、久保田磨希、内田紳一郎の皆が、曇りのないピュアなアプローチで軽演劇的な楽しさを作品にシッカリと搭載させていく。
人々の記憶の奥底にあるノスタルジックな真情と、「ひょっこりひょうたん島」との追憶をオーバーラップさせながら物語は紡ぎ合わされ、此処でも彼岸でもない空間を行き来し独特だ。過去の素材を軸としながら、未来を、そして、演劇の可能性をも切り拓く希望を指し示す仄かな光明を刻印し、心に沈殿する作品が出来上がったと思う。
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