開場中の劇場内に入ると、既に、舞台の緞帳は上がっており、設計士・アンドリュー役の加藤和樹が、デスクに向かい図面を書いている姿が来場する観客の目に晒されることになる。物語は、もう始まっているのだ。真剣に仕事へと向き合う設計士の姿勢が、観客の意識の中に刷り込まれていく。
開演時間が来ると、ステージは動き始める。身なりの良い紳士が現れると、そこに集っていた多くの人々が、彼に怒りをぶちまけているような光景が現出する。一体、何が起こったのかと目を凝らして注視するが、特に台詞もないため、観客は創造力を働かせていくことになる。「タイタニック」の事の顛末は、大多数の人が知ってはいるのだとは思うが、多分、事件が起こった後のシーンが巻き起こっているのだなということは、伝わってくるのだが、少々説明不足な気がする。
「タイタニック」と聞くと、まずは、あの大ヒット映画を思い浮かべてしまうが、本作はその物語とは展開を異にする。悲恋の二人に物語が収斂することなく、様々な理由によって、「タイタニック」に乗船した人々の人生の一片が、並行して活写されていくことになる。アンサンブルに徹しながらも、それぞれのシーンでピックアップされた人々が吐き出す想いが、繊細に、高らかに、歌い上げられていく。
登場人物の誰もが変に突出することなく、それぞれの見せ場を充分に観る者に訴える演出アプローチに隙はない。作品全体の構成を鑑みつつも、自らのパートを最大限に表現し得るバランス感覚を持った才能が、有名無名を問わず居並んだキャストの実力が遺憾なく発揮されていく。
メロディは心地良く、詩歌は船上で生きる者たちの真情をダイレクトに叩き突けてくる。当時の社会に明確に存在していた、購うことの出来ない絶対的な階級の存在が、通低音の様に作品の奥底で響き渡る。現代に至るまで連綿と続く、自分が今生きる世界を超克したいという渇望がエンパワーされ作品が逞しさを帯びていく。
加藤和樹は、芯は強いが自分のプランにまずい点があったのではないかと逡巡する設計士を、繊細に演じていく。映画版であるとデカプリオが演じた役どころに近いロールを藤岡正明が担い、野性味溢れる発破を放ち印象的だ。
鈴木綜馬がオーナー、ブルーノ・オスメイを狡猾に演じることで、作品にシニカルな視点が産まれてくるのが面白い。光枝明彦が船長を演じるが、船長としての使命感を威厳を持って保ちながらも、オーナーの意向に従わざるを得ないアンビバレンツな心情を滲ませ、観客のシンパシーを獲得していく。
有名人に嬉々とする二等客の婦人を演じるシルビア・グラブのコミカルさ、高潔な判断を下す一等客の夫婦を演じる安寿ミラと佐山陽規の冷静な静謐さが、作品に誠実さを付与する。一等客室乗務員を戸井勝海が演じるが、サービスのホスピタリティを体現し、タイタニックのスピリッツの一端を垣間見させてくれる。
タイタニックというステージに登壇する老若男女様々な人間の真情や希望やエゴを、実に巧みに差配するトム・サザーランドの才気に舌を巻く。演出家の絶妙なバランス感覚を持ってまとめ上げられた本作は、誰もが誰かの思いに同調する思いを誘引するエモーショナルなシーンがゴブラン織のように紡がれ、一気呵成に提示される迫力に満ち満ちている。
幾通りもの人生が交錯し、観客は登場人物の誰かに共感を示していくことになるであろうことが、計算づくで意図されているのだと思う。その戦略がエンタテイメントとして必須な要素なのだと気付かされることになる水準に、本作は達していた。但し、皆がアンサンブルに徹しきる潔さに圧倒されつつも、もう少し突出する個性が散りばめられていると、作品の個性のエッジがもう少し立ったかなという思いも感じた。
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