ラスト、息絶えるナオミの傍らに立ち尽くすJr.バタフライの姿、そのシーンのなんと美しいことか…。創造される物は何でも美しくなければばらないと思うのだが、この日本発世界発信のオペラもこの上ない美しさを確実に獲得していた。
いわずと知れたプッチーニの「蝶々夫人」のその後を描いた本作は、その発想を具現化するということ自体が大変な野心作であると思うが、その内に秘めた強烈なメッセージ性を持って、今を生きる観客に今の世界の問題を突きつけるジャーナリスティックな視点で2004年の混沌の時代に鋭く斬り込んでくる。
島田雅彦のテキストは、蝶々夫人の仇をとるかのように、また、今の社会情勢に対しアジテーションをするかのごとく、反米を声高に謳い上げる。
三枝成彰はアリアやデュエットに加え詩人を語り部として置くことで、メッセージ性を俯瞰し更に普遍化させていく。佐藤しのぶの透き通るような繊細な声と相まって、特に終盤の「どんな悲しみよりも…」のアリアはいつまでも耳に響く余韻を与えてくれた。また、引き続き佐野成宏の「遠い昔から」では、政治でも社会でもない、ほんの1個人の切ない悲しみに満ちて観客の心の琴線に訴えてくる。そして、アバドの美しい情景作りである。完璧に酔わされてしまった。
膨大な時間と金銭を費やしたであろう本作のようなプロジェクトは、そうそう出来るものではないだろう。居並ぶ協賛スポンサーの協力があってのことであると思うが、それを実現させた三枝成彰と島田雅彦の情熱と政治力には脱帽である。本作にはこれから世界に飛び出しどんどん成長していって欲しいと願うばかりである。
しかし、何で本作のような国家プロジェクトが出来ないのであろうか?ビルや道路作りはもういいんじゃないの。発信出来る文化を創造することがその国のまさに文化レベルを測るバロメーターになる訳で、心の豊かさを取り戻さなければ家族も社会も崩れていってしまう危険性を孕んだ今、アートへの取り組みを真剣に考えていかなければならないのではないだろうか。イマジネーションを生み出す訓練をしていないと、人は創造するという手段さえ分からなくなっていってしまうと思うのだが…。
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