野田秀樹作の「三代目、りちゃあど」は、ウィリアム・シェイクスピア「リチャード三世」(小田島雄志訳)より、とあるが、シェイクスピアの「リチャード三世」とは似て非なるものである。
シェイクスピアの弟リチャードや妻アンの伝承が「リチャード三世」の物語と交錯し、更には「ベニスの商人」のシャイロックも登場して、シェイクスピアがリチャード三世やシャイロックたちを悪人として描いたことを、その登場人物たちが断罪する裁判が物語の主軸となっていく。
本作は「三代目、りちゃあど」と題されてはいるが、演出のオン・ケンセンが野田秀樹作の戯曲を換骨奪取し、氏の解釈による「三代目、りちゃあど」として観客に提示される。様々な物語を搔い潜りながら形成される本作は、才人たちの個性際立つフィルターを通すことで、本家本元のシェイクスピアとは全く別物のクリエイティビティを獲得し刺激的だ。
本当に全く異なる出演者の出自も注目に値する。勿論、この異種混合戦は意図されたものなのではあるが、オン・ケンセンの実験的な試みは予定調和に留まることなく、新たな提言を提示しているという点に於いて、本作はアートなのだと思う。
リチャード三世は女形の歌舞伎役者中村壱太郎、シェイクスピアは狂言役者の茂山童司、シャイロックはシンガポールの女優ジャニス・コー、シェイクスピアの母などをインドネシアの女優ヤヤン・C・ヌール、影絵人形遣いなどをインドネシアのアーティスト イ・カデック・ブディ・スティアワン、アンなどを「ク・ナウカ」の女優たかいみき、カイロプラクティックなど創作人物を「毛皮族」の江本純子、裁判長などを元宝塚の久世星佳が、それぞれ演じる。しかも言語は、故国の公用語を使用。ステージ上下に設えられた字幕版には、日本語は英語で、その他の言語は日本語で表示される。
異能たちを、敢えて1つのコンセプトに集約することなく、それぞれの才能に立脚したパフォーマンスを最大限に発揮させるオン・ケンセンの手綱捌きが素晴らしい。ゴツゴツとした違和感が、観客の心をチリチリと刺激するのだ。アジテーションと言うよりも、理解と解釈を観る者に委ねるという信頼感をしかと感じるため、作劇の世界に安心して身を投じることが出来るのが心地良い。
観方によっては、この戯曲をベースとして、今の世界観を表現しているとも言える。人種やジェンダー、言葉の違いを直視し、物語の中から現代を生きる人間の在り方をしかと浮き彫りにしていく。オン・ケンセンの演出意図は、明確に、そして、とても分かりやすく伝わってくる。
各シーンをアート・インスタレーションの様な空間へと導いているスコット・ジェリンスキーの照明に高橋啓佑の映像、登場人物のキャラクターが反映された細部に至るまでこだわり抜いた矢内原充志の衣装、様々な国のエッセンスを的確に掬い上げた山中透の音楽、光と影が上手く活きる美術を創作した加藤ちかなどスタッフ・ワークが、作品のクリエイティビティをグッと押し上げ見事である。
野田秀樹の戯曲がオン・ケンセンの才により、現代世界をビビットに照射させたアート作品として命を吹き込まれた。カーテンコールで満面の笑みで登壇したオン・ケンセンが手掛ける他の作品も観てみたいなと感じ入った。
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