スパイラルホールの小空間で演じられる一人芝居。観客数約100人。役者は旬の女優、鈴木京香、ただ一人。上演台本と演出は三谷幸喜。美術には、アート・ディレクターの森本千絵が迎えられた。何とも贅沢な芝居空間だ。
会場内に入ると、センターに設けられたアクティング・エリアには、既に、舞台美術がセッティングされている。中央には大きなベッドが置かれており、微妙に異なる真紅のシーツやレースが折り重なって、ベッドの上に被されている。宣伝美術にあるような、イメージそのものである。装置ではなく、美術。質感や量感までもが手に取るように分かる近さで観客に見られることを想定した繊細な設えに、まるで、家主の部屋を覗き見でもするかのような、リアルさを感じていく。
その他、物語のキーとなる長いコードが繋がった黒電話や、絵画、ヒールなど、様々な小道具が散りばめられている。会話が進んでいくに従い、小道具たちは、それぞれが担った役割を効果的に果たしていく。
鈴木京香が登場する。最前列で観ていたということもあり、50~60cmという至近距離でお見受けするオーラある女優の美しさに、ついつい陶酔してしまう。物語云々よりも、まずは、このシチュエーション自体に酔い痴れるという、ナマの舞台ならではの醍醐味がタップリと堪能出来る。
女はどうやら、永年付き合っている男性からの電話を待っているようである。架かってくる電話。しかし、間違い電話。未だ電話交換士手がいた頃の時代で、会話の中に、交換手も乱入してきたりもする。そして、やっと待ち人からのコールが架かってくる。ベッドに置かれた電話を目掛けてダイブする行動に、思わず観客から笑みが零れていく。感情の表出を、台詞のみならず、動きによっても表現していく三谷演出の細やかな眼差しが面白い。
会話の内容から、女は男に、別れ話を切り出されているのだということが露見していく。女は必死に、男にしがみ付いていこうとしている。電話での会話だけを頼りに。本音を隠しつつも、逸る思いが迸る感情の起伏を、鈴木京香は、緩急自在に魅せていく。まるで、秘め事を覗き見ているかのような、楽しさを享受していく。ジャン・コクトーのたくらみに、まんまと嵌まっていく。分かっていながら、のめりこんでいく、この快感。
女は上質なガウンを身に纏っているのだが、物語が展開していくにつれて、ガウンを脱ぎ捨て、肩も露わな室内着で、舞台上を右往左往する。また、会話をしながら、部屋に置かれたヒールを履いてみたりもする。鈴木京香の色香を放つ艶やかな振る舞いに、完全ノックアウトされていく。しかし、これも全て計算づくなのだ。一人芝居のあらゆる側面から、エンタテイメント性を引き出していく、演出アイデアに感服する。
話はどうやら、元の鞘へと引き戻せない状況へと陥っていく。焦る女の心情を、鈴木京香は、燐とした態度を崩さないようにしながらも、決して望まない結末へと堕ちていく裏腹な流転に購う様を、パッションを込めて演じ抜いていく。散り際の花の美しさを、体現していく。
真近でみる、愛に敗れた女の涙は、胸に突き刺さる。取り返すことの出来ない、行き違ってしまった心と心。そして、この後、決して重なり合うことのない絶望感を俯瞰して筆致する意地悪さと遊び心に、ジャン・コクトーの才が際立っていく。
生死を問われるような状況とは彼岸に居る耽美なデカダンスを身に纏いながら、自ら身を持ち崩していく女の哀れを描いて絶品であった。三谷幸喜の戯曲に対する緻密なアプローチが、鈴木京香が持つ才覚を最大限に引き出すことが出来た可憐な秀作に仕上がった。
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