2008年 10月

2008年10月24日・26日に行われたセカンドステージに
参加された方々から寄せられたコメントをご紹介します。


(雑誌編集者 40代♂)
シアターセラピーでは、セリフを読んでいるうちに、いつもの自分自身とは別の自分が現れて、その新しい自分をいつもの自分が客観的に見ているような感覚になりました。
まことに不思議で楽しい経験でした。
堤かつらさんのヨガは、初心者の僕でもラクにできるようなレベルで、終わって、銀座の街を歩いてみたら、足取りがすごく軽くなっていて、その効果に正直、驚きました。
シアターセラピーもヨガもずっと続けていくと、自分の身体と心の感覚がどう進化していくのか。
楽しみですね。

(薬品会社勤務・30代♂)
ヨガは、キツク感じない割に、ほどよく汗をかいて、身体がスッキリしました。
シアターセラピーは、脚本自体が大変に面白く、自分の番だけではなく、他の人が演じているストーリーも引き込まれてじっくり観賞を楽しみました。

(工務店勤務 30代♂)
僕は、このイベントは2回目の参加でしたので、とてもリラックスして楽しめました。
参加した26日(日)は、たまたまリピーターの人や堤さんのヨガ教室の生徒さんが多かったので、堤さんが参加者のレベルに合わせて、中級者向けのヨガをレッスンしてくれました。
集まった人に合わせたレッスン内容を考えてくれたことには、僕も感動してしまいました。
シアターセラピーでは、相手役が変わると、自分もセリフの言い方が変わっていくということを実感し、改めて人間関係は、お互いの気持ちの持ち方次第で変わっていく、ということを、思い知りました。
毎回、いろいろな気づきがあるイベントで、これからも参加していきたいと思っています。

(新聞社勤務・20代♀)
金曜日の夜にシアターセラピーに参加して、男性と手を握ることができたので、休日のあいだ、なんだかとってもうれしい幸せな気持ちになりました。
ちょっぴり恥ずかしいけれど、そこがまた気持ちいいような。
とても面白かったです。
恋愛不感症になっている人にもおススメします。

(貿易会社勤務 20代♂)
シアターセラピーは、気づきを得るために、とても効果のあるセラピーだと思います。
私は、みんなの前で脚本を読んでみて、自分をみんなにどう見せよう、ということをまず考えてしまう自分がいることに気づきました。
普段の自分も、そういう傾向があることを強く感じました。
自分の心のあり方を見つめるいいきっかけになりました。

(歌舞伎役者 20代♂)
今回、イベントに参加して、シアターセラピーという、新しい世界を知ってしまいました。
相手役の女性が本当の恋人のようにセリフを言ってくれたのでドキドキしてしまいましたが、癒される感覚に、ハマってしまいそうです。
また、ぜひ参加したいです。

(文具販売代理店経営 40代♀)
シアターセラピーを始める前に、相手役の男性と呼吸を合わせるために1分間手を握り合ったのですが、人のぬくもりを感じることで、心がとても温かくナチュラルになりました。
俳優さん同士が共演をきっかけに恋しちゃうことがよくありますが、その気持ちが、分かるような気がしました。

 

2008年10月24日(金)19時30分 銀座区民館(東銀座)
2008年10月26日(日)14時 堀留町区民館(人形町)にて、
「シアター・セラピー&セルフレッシュ・ヨガ」セミナー:セカンドステージが開催された。


■10月24日(金)

平日ということもあり、皆さん仕事を終えられて参加していただきました。
会場は、歌舞伎座の裏手。好立地のため、皆さんにも来ていただき易かったようです。

今回は畳の部屋をお借りしましたので、もうそのまま横になってヨガを始めていきます。
まずは、呼吸をゆっくりと行うことで、身体全体のバランスを整えていきます。

緩やかな空気が流れていきます。

休憩を挟み、シアター・セラピーを行います。
今回は夜の開催ということもあり、ワインを片手にリラックスしたモードで、芝居の台本を読み合っていきます。

夜のシアター・セラピーはまた独特の雰囲気です。
しっとりとした大人の雰囲気が自然と醸し出されていきます。


■10月26日(日)

会場が堀留町公園に隣接しているため、とても気持ちのいい空気感のある会館です。

日曜日ということもあり、町中はとても静かでシンとしています。
こちらの会場も畳ですので、ゆったりと身体を動かしていくことができます。
身体を少しずつ伸ばしていき、日常でも簡単に出来るヨガのポーズをとっていきます。

今回は10代の女性が参加してくれたことで、
シアター・セラピーもまた、大人の方々が語る物語と、様相が変化していきます。
読み合う人同士の呼吸の合わせ方・距離の置き方ひとつで、
同じ物語が全く別のものになっていく醍醐味が、見る者にも伝わります。

両日共、セミナー終了後は、皆でとても楽しく有意義な、歓談のひとときを過ごしました。

当日参加された方のコメント


<シアター・セラピー>ナビゲーター

草川 一
日本大学芸術学部演劇学科卒。
日本メンタルヘルス協会公認・心理カウンセラー。

 

<セルフレッシュ・ヨガ>インストラクター

堤 かつら
ライフアップヨガ学院・NPOヨガ元氣学
認定インストラクター

面白かった。タップリと劇世界を堪能出来た。舞台で演じられていることは虚構の世界なのだという前提は、もう観る前から明らかに分かっているのだが、しかし、この作られた物語を役者たちが嬉々として演じている姿に、ドンドンと気持ちが同化していってしまうのだ。

本の面白さはもはや言うまでもないが、そのテキストから活き活きと登場人物を甦らせた演出の美学と洞察力に加え、役者の個性と技量が、多大に作品に反映されている。特に、シェイクスピアの台詞の丁々発止のやりとりの面白さが、今回、物凄く伝わってきたのだ。また、ベネディックを演じる主役の小出恵介が、とてもいいのだ。初舞台だということであるが、変な気負いも不自然なもの言いもない。

小出恵介には、タレントを主役に据えると時にありがちな、舞台全体から浮き上がった違和感のようなものがないのだ。オーラの度合いが少ないと言えなくもないが、こうして中軸の役者がしっかりとしているので、作品全体の構造が揺るがない。主役も張ってきている俳優だが、脇に回りバイプレイヤーとしても個性を発揮する存在でもある。こうした経験によるものなのか、実に上手くアンサンブルに溶け込んでいるのだ。これは、持って生まれたセンスによるところが大きいのではないだろうか。

シェイクスピア独特の装飾的な言葉や比喩など、今や、日常生活で決して使うことのない台詞に困惑する役者も多いだろうが、小出恵介は、その数々の台詞に、気持ちを込め、そこから表情を作っていく。台詞に飲み込まれることがないので、今風というか、現代的な人物像が出来上がっていくのだ。台詞はシェイクスピアなのだが、今の時代の恋愛ドラマのように見えてくる。また、ちょっとした動きや表情で観客を可笑しがらせるコメディセンスも一流だ。グイグイと作品を牽引する蜷川演出に付いていこうと躍起になることなく、フワッとした軽さを醸し出すこの「在り方」は、蜷川作品の中でも特異な存在感を放つことになったと思う。

座長のバランス感覚がいいので、実力ある脇の俳優たちも、フットワークを軽めにしながらも本領を発揮する。どの役も感情の起伏が激しく、コロコロと気持ちを変えていくスピーディーな展開の中、作品が飛んでいかないように置かれた文鎮のようなズシリとした存在感を、瑳川哲朗や吉田鋼太郎が体現する。長谷川博巳のクローディオもいい。飄々とした彼の資質が、直情的で素直なクローディオの役柄にうまく乗っかり、ジェットコースターのように気持ちがアップダウンしていく様がとても可笑しい。高橋一生は才気煥発のビアトリスを逞しく演じ、月川悠貴演じるヒアローは大人しく控えめに事の成り行きを見つめていく。

最後には事の顛末が全て明らかになり、悪事を仕掛け逃亡していたドン・ジョンが捕らえられたというニュース飛び込んで大団円を迎えることになるのだが、このあまりにもその場その場の現象に流され過ぎな人々に対して投げかけるヒアローの冷静な視線が心に突き刺さる。彼女が一番、心に傷を負っているはずですからね。それを憂うるクローディオと、お互いを確かめ合うように見つめ合うベネディックとビアトリスに、静かにシニカルな余韻が残る。

小出恵介を得て、「から騒ぎ」は見事に現代へと通じる物語へと昇華した。また、蜷川作品の中でも、一所懸命さが前面に出過ぎない、軽さが心地いい稀有な作品に仕上がったのではないだろうか。ドンドンと変化し進化していく様に、これからも目が離せない。

放火殺人を犯した罪に問われている女、キャサリン・ハンターと、精神科医の野田秀樹を中心に物語は展開していくが、その女がその時々に囚われている「意識」が飄々と時空間を超越するため、女そのものとは全く別の重層的でねじれたいくつもの意識同士が瞬時に繋がり合い、周囲の者たちを巻き込んでいくことになる。女の名前はゆみ。英語で唱えられ初めて気が付いたのだが、ゆみって、YOU・MEなのだ。幾重にも意識が重なる母体として、これ程までに似つかわしいネーミングはあるまい。野田秀樹の細かな仕掛けに嬉々とする。

捕えられ追い詰められた女がその重圧から逃れるために、いくつもの人格を作り上げていく多重人格ものとも見て取れるが、そんな表層的な仕掛けにはなっていない。女が様々な人格を作り上げていくのとは全く真逆のアプローチ。すなわち女の意識をトコトン突き詰めていったら、様々な意識の様相が表れてきた、ということである。女は自分が抱えている本来の意識を殺し、演じることで自分の身を守っているわけではなく、意識の淵辺を無意識にショート・トリップしているのである。そうすると、自然と本能に近い部分に底触することとなり、その欲望が焔となって立ち昇ってくるのである。その光景を、我々は目撃することとなるのだ。

この現代の犯罪の奥底に潜む手立てを探る柱として、野田秀樹は、能の「海人」をモチーフとして選んだ。金春権守作、世阿弥改作とされる古典である。ある海人が、奪われた宝を海の中から奪還できたら息子を重用しようという約束を受け宝を奪うことが叶うが死を迎えてしまう。その母の秘密を知った、時の大臣・房前の物語。母である海人が思いを込めて海へと飛び込む様は、茫漠たる意識の中へとダイブする女の気持ちと連鎖する。

更に、能の演目でもある「葵上」も絡んでくる。やるせない女の気持ちは、生霊となって光源氏の正妻・葵上を苦しめた六条御息所が宿した子を堕す悲しみの気持ちとリンクし、また光源氏が六条御息所の御邸に通う際に縁あって出会った愛人の夕顔にもなって愛された日々の思いをグッと意識の中に凍結させていく。幾重にも重なった女たちの悲しみが女の身体の中を駆け巡り渦巻いていく。

キャサリン・ハンターはやはり凄かった! コロコロと目まぐるしく転回していく女の意識の憑依を、自らの肉体の中にグッと吸収させ、リアルに表現していく。キャサリン自体が、役柄の意識体を掴みきり強烈に牽引していくため、何人もの女たちが現れてきたとしても、決して破綻することがない。その柔軟なしなやかさが圧巻である。野田秀樹は精神科医としてキャサリン・ハンター演じる女と常に対峙するが、後半、葵上となって、キャサリンと女同士のバトルを繰り広げるシーンは辛い場面だが、面白い。男だから表現できる女のむごさを表出させ、クライマックスを迎えていく。

田中傳佐衛門の囃子と福原友裕の笛はジャパネスクを彩るが、意識の通低音として女の気持ちと交錯しスリリングな効果を上げていく。

ラスト、女は絞首刑となるのだが、そこで意識が放たれたのであろうか。海の中へと再度ダイブするのだ。そうすると、孕んだ子が自然と産まれ、そして海へと還っていく。女は息絶えるが赤子は息を吹き返す。自らの手で死に追いやった命が、最後の最後に再生した。女の命は、こうして新たに蘇ったのだ。

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