面白かった。まず何と言っても、さいたまゴールド・シアターの方々全員に当て書きをした、ケラリーノ・サンドロヴィッチの台本が圧倒的にいいのだ。しかもそれぞれの個性を十分汲み上げているため、キャラクターが明確に表現されているのだ。
高校時代に演劇部を指導していた安藤先生は、今は、ポルトガルの地で暮らしているのだが、死を予感した先生は、死ぬ前に一度だけかつての教え子のひとりに会いたいと秘書にコンタクトを取るようお願いする。しかし噂はまたたく間に広まり、ポルトガルの先生の家には教え子たちが大挙して押し寄せることになるというのが導入だ。
先生は皆に会いたいわけではないので、安静ということで部屋に籠もったきりだが、そこで繰り広げられるのは、ここに集う皆の紛れもない今のリアルな会話。かつての思い出話も交わされることもあるが決して郷愁に陥ることなく、皆実に前向きに話し行動していくのだ。何を食べようとか、どこに行こうとか、何故先生に会えないのとか、また些細なことで喧嘩にもなる。老人を識者でもなく弱者でもなく、欲望がまだまだ旺盛なひとりの人間として描いていて溌剌としているのだ。しかし何と言っても色恋に対しても、ますます盛んなところが実にいい。いくつになってもその欲望は衰えることはないのだ。だってそもそものきっかけだって、先生の生徒に対する思慕なわけであるから。
隣に住むポルトガル人は、先生の名前をあんどうと呼べずに、アンドゥと呼ぶ。アンドゥトロワじゃないが、人間いくつになっても始めの一歩を踏み出し手習いを続ける生き物なのではないかという意味合いが、このタイトルにシンボリックに込められている気がした。
先生は部屋から出ないのだが、あちこちに幻となって出没する。そして思い抱いていたかつての教え子をビリヤード台に押し倒したりもする。この悲喜劇! この意識が跋扈するという展開がいい。リアルを越え、意識同士がより近くなるという感覚は良く分かる。そして皆もそのことをことさら可笑しなこととして捉えない。この達観の具合が、大人、である。また、物語の先がなかなか読めないのも、スリリングだ。伏線かと思いきやそうではなかったりと、最後まで、飽きさせることがない。
会場の最前列には演出助手たちがプロンプ要員として張り付いているのもリアルで潔い演出である。これが、今のさいたまゴールド・シアターの現実なのだと言わんばかりである。しかしこのことが虚実の境目を曖昧にさせることとなり、物語の内容ともシンクロしてくるところは天晴れだ。
物語はだんだんと終盤に向かっていくのだが、正直言って、役者さんたちのパワーや集中力が少しずつダウンしてきていた気がした。休憩挟んで3時間30分弱は、台本としては少し長かったのではないだろうか。いらないところがあったと言う意味では全くない。このカンパニーに書き下ろすには、今後、上演時間の考慮が必要なのかなと思う。
よくもここまで見事なアンサンブルに仕上げられたなと演出力に舌を巻いた。ただ、最後に先生の魂が飛翔するシーンなのだが、シーンとしては感動的なのだが、流れる音楽が「美しき青きドナウ」なのだ。惑星のように旋回する魂に、この音楽。どうしてもイメージは「2001年宇宙の旅」に引っ張られることとなり、最後の最後でオリジナリティを欠いたと思う。
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