2019年 7月

緞帳代わりにゴールドのカーテンが舞台に降ろされている。さて、開演となりました。舞台端のオーケストラ・ピットから音楽が奏でられ始める。あれ、最近はあまり遭遇しない、オーバーチェアなんですね。その音に合わせてカーテンの色が照明によって変化してくこの演出がイイんですよね。だんだんと実に豊かな気持ちになっていきます。

幕が上がった時から、ジャパンメイドのミュージカルとは一線を画す作品なのだということが分かってくる。勿論、イギリスカンパニーバージョンなので、出演者も外国の方々、台詞も英語だという要因もあるのだとは思うが、ステージの空間を埋める作品の濃度の濃密さが、かなりのインパクト大なのだ。

ケリー・オハラと渡辺謙というスターが勿論中心に屹立しているのだが、その二人だけに作品が集約していくことなく、子役に至るまでどの俳優も自分が主役だとでもいうべき存在感で、それぞれの役柄を生きているのだ。いい意味で、登場人物たちがバチバチと拮抗し合っているのが、実に小気味良い。

見事なコラボレーションは俳優陣に限ったことではない。メインストリームである楽曲とその演奏は勿論のこと、美術、照明、衣装などなど、作品をカタチ造るあらゆるパートが最良のクオリティを提示することで、クリエイティビティがグルーブしているのだ。

主演俳優や演出家のヒエラルキーに引っ張られる過ぎることのないパワーバランス。各パートがぶつかり合いつつも、それぞれの力量が集積して1つの作品を実に強靭なものにしている。その強さがある種のオーラとなってステージから溢れ出て、観客を魅了する。

本作が、今、上演されることの意味に考えを巡らせてみるのだが、きっと、どの時代にでも観る者の心に刺さる作品であるからこそ、ロングランを重ねてきたのだということにも気付くことになる。文化の違う人間同士の葛藤、溶解、そして友愛。出自の異なる者同士が理解し合うということは難しく、それを超えていこうとするには、どの時代においても不変なテーマなのだということに感じ入る。

人間が持つ、逃れられないある種の暇しさに斬り込み、それをエンタテイメントとして提示するため、グッと前のめりになっていくのだ。だから、2019年の時代においても決して古びることなく、新鮮な輝きを放ちながら観客を魅了する。

極上のワインを飲んだような感じとでも言おうか、最初は名のあるワイナリーのラベルに引き寄せられ此処に参上することになるのだが、時が経過していく内に、実に様々な風味のアクセントが感じられるようになってくる。色も変化していく。それを感じられるのが実に楽しいのだ。そして、終盤に向けて、テイストは1つにまとまり、これが本領なのだとでも言える奥深いコクある最上級の美味しさへとまとめ上げられることになる。

芝居を観るというよりも体験をしたという言い方の方が適切なのかもしれない。名作の見事なリバイバルに心底酔い痴れることが出来た一級品であった。

18世紀のイタリアの喜劇作家・カルロ・ゴルドーニの上演作品を観劇するのは、2014年の「抜け目のない未亡人」以来である。カルロ・ゴルドーニ作品は、肩ひじ張らない軽妙な喜劇が何とも楽しく、演劇の面白さをたっぷり味あわせてくれるワクワク感に満ちている。本作も観る前より、楽しもうという前のめりな気持ちが先走り、期待を込めて劇場へと足を運ぶことになる。

座長が旬のムロツヨシであるのも、期待感が高まっていく大きな要因だ。堤真一や吉田羊などベテラン俳優陣を脇に従え、厚みのあるキャストの布陣が組まれているのも魅力的だ。こういった意外性にもサプライズ感があって、嬉々としてしまう。

同作の原題名は「二人の主人に仕えた召使」だというが、物語の骨子は、この題名そのものである。二人の主人に仕えて二倍の給料をせしめようと企むのが、ムロツヨシ演じる召使。二人の主人は、堤真一と吉田羊が担っていく。また、この主人も表の顔と裏の顔が混在する大分入り組んだ設定となっているため物語はこんがらがり、なりすましや取り違えなどによって巻き起こる可笑しみが、笑いとなって上手く昇華していくのが気持ちいい。

この混線した物語の上演台本と演出は福田雄一が受け持ち、結構ベタな笑いを、ある種のハートウォーミングなシチュエーションへと転化させていく匙加減が絶妙であると思う。

そんな手綱捌きの下で、堤真一と吉田羊のほかにも、池谷のぶえ、野間口徹、春海四方、高橋克実、浅野和之などの重鎮たちも、個性を全開にしつつも微笑ましさを湛えソフィスティケートされた演技で魅せていくが、賀来賢人の弾けっぷりはやはり突出している。観客も賀来賢人にその破天荒さを期待しているのだから、需要と供給のバランスが取れているということになるのであろう。もはや名人芸の一種だといっても過言ではあるまいか。

勘違いがどんどんと繰り広げられ、物語をグイグイと牽引していくが、大団円へと向かってこんがらがっていた紐が解きほぐされ、皆が段々とハッピーになっていくのが心地良い。その物語の中心に屹立し幸せオーラを振り撒くムロツヨシの存在が、本作に丸みを帯びた柔らかなタッチを付与させていることに相違ない。座長の色がクッキリと作品に刻印されていく。

難しいことなど何一つなく、ただひたすら舞台で展開されていることに一喜一憂しながら、旬の俳優陣をナマで楽しめるだなんて、まさに演劇の醍醐味だ。こういう作品に出合うと演劇に夢中になっていくのでしょうね。18世紀の喜劇が現代に軽やかに蘇る様を目撃できたことが幸福に思える逸品であった。

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