約20分押しての開演。この映画とは約20年振りの再会である。しかも、フィリップ・グラス・アンサンブルの生演奏で再見出来るとは、何たる贅沢!
アメリカ先住民族ホピ族の言葉で「平衡を失った世界」という名前を持つ本作「コヤニスカッティ」は、21世紀を迎えた現代を、まさに予言していたかのような、驚きと新鮮さに満ち溢れている。初公開時、日本は、バブルの洗礼を受ける直前であり、カタカナ職業や新人類が発生してきた時代にあった。そんな時期にあっても、この、人類や地球を俯瞰して語りかけるコンセプトは強烈であり深遠な哲学を秘めていることは観客に強いインパクトを与えたに相違ない。しかし、ガイア思想なるものが一部で熱狂されていた程度で、自然破壊の及ぼす影響や先行きの見えない底知れない人類の憂鬱などとは、まだ、縁遠い空気であった。
同じ映像であっても、受け手が変化することで、その印象は全く違ったものになる。普通は、年かさを重ね様々の経験をすることで自分の蓄積が増え、昔は分からなかったものが、今だからこそ見えてくる、と言った感じであるが、本作は、個人のキャパシティの問題ではなく、この20年で全人類が遭遇し通過してきた出来事と、全ての観客の意識とがシンクロしてしまうのだ。馬鹿をやり続けて学習したということか。人類も少しは成長したということか。
映像は延々雄大な自然を写し出す。その後、その自然を壊すシーンが続いていく。その破壊をしているのは人間たち。映像はまた、人々や車の行き交うシーンを高速度撮影で見せていく。人たるものの何たる小ささ! また、人々が食するものも工場で効率的に作られているものであり、人々はそのベルトコンベアーに乗って出来た食べ物を食べ、日々、生きているのだ! 何だか、人類全てがベルトコンベアーに乗って動かされているのでは、といった運命感までをも感じさせ、また、車の往来のライトが人の血流にも見え、人の存在自体も含めた地球全体が生命体なのだということを一言の台詞も無く映像のみで叩きつけてくる。
オープニングとエンディングに象徴的に出てくるロケット発射であるが、最後、ロケットは打ち上げ後爆発し、その燃える破片の落下を延々に撮り続けた驚異の映像で幕を閉じるのではあるが、これは、一体何を意味するのであろうか? この本当の意味を全人類が理解出来た時に、本当に新たな世紀がやって来るのかもしれない。
いつの時代ででも、試金石であり踏み絵でもあるという運命を背負った唯一の作品であると思う。最後にではあるが、フィリップ・グラスの音楽が、この作品を更に普遍化させる絶大なるパワーになっていることと、カーテンコールのご本人の登場に心躍ったことを記したいと思う。
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