2003年 10月

約20分押しての開演。この映画とは約20年振りの再会である。しかも、フィリップ・グラス・アンサンブルの生演奏で再見出来るとは、何たる贅沢!

アメリカ先住民族ホピ族の言葉で「平衡を失った世界」という名前を持つ本作「コヤニスカッティ」は、21世紀を迎えた現代を、まさに予言していたかのような、驚きと新鮮さに満ち溢れている。初公開時、日本は、バブルの洗礼を受ける直前であり、カタカナ職業や新人類が発生してきた時代にあった。そんな時期にあっても、この、人類や地球を俯瞰して語りかけるコンセプトは強烈であり深遠な哲学を秘めていることは観客に強いインパクトを与えたに相違ない。しかし、ガイア思想なるものが一部で熱狂されていた程度で、自然破壊の及ぼす影響や先行きの見えない底知れない人類の憂鬱などとは、まだ、縁遠い空気であった。

同じ映像であっても、受け手が変化することで、その印象は全く違ったものになる。普通は、年かさを重ね様々の経験をすることで自分の蓄積が増え、昔は分からなかったものが、今だからこそ見えてくる、と言った感じであるが、本作は、個人のキャパシティの問題ではなく、この20年で全人類が遭遇し通過してきた出来事と、全ての観客の意識とがシンクロしてしまうのだ。馬鹿をやり続けて学習したということか。人類も少しは成長したということか。

映像は延々雄大な自然を写し出す。その後、その自然を壊すシーンが続いていく。その破壊をしているのは人間たち。映像はまた、人々や車の行き交うシーンを高速度撮影で見せていく。人たるものの何たる小ささ! また、人々が食するものも工場で効率的に作られているものであり、人々はそのベルトコンベアーに乗って出来た食べ物を食べ、日々、生きているのだ! 何だか、人類全てがベルトコンベアーに乗って動かされているのでは、といった運命感までをも感じさせ、また、車の往来のライトが人の血流にも見え、人の存在自体も含めた地球全体が生命体なのだということを一言の台詞も無く映像のみで叩きつけてくる。

オープニングとエンディングに象徴的に出てくるロケット発射であるが、最後、ロケットは打ち上げ後爆発し、その燃える破片の落下を延々に撮り続けた驚異の映像で幕を閉じるのではあるが、これは、一体何を意味するのであろうか? この本当の意味を全人類が理解出来た時に、本当に新たな世紀がやって来るのかもしれない。

いつの時代ででも、試金石であり踏み絵でもあるという運命を背負った唯一の作品であると思う。最後にではあるが、フィリップ・グラスの音楽が、この作品を更に普遍化させる絶大なるパワーになっていることと、カーテンコールのご本人の登場に心躍ったことを記したいと思う。

万華鏡を見ているかのような、不思議な感覚と懐かしさを感じるステージである。映像を駆使した、見る、見られるという双方向の演出の視点を、ダンサーたちが簡単に跋扈する様は、さながら絵本のページをめくるかのような期待感と楽しみに溢れ、また、それを幸福感にまで昇華させてしまうナチュラルで無理のない展開は、ドゥクフレならではの演出である。

例えば、ダンサーのシルエット映像を、同時に上と下とで対象に投射することによって、ロールシャッハテストのような図形とも得体の知れない虫のようともとれる映像となり、チラチラと動くその映像からは目が離せなくなってしまう。魅惑されてしまうのだ。

音もまた需要なファクターである。虫の音などはノスタルジーと自然を喚起させる意図で使用しているのだと思うが、ライブで演奏される音楽は、映像という“影”に擦り寄りがちな意識を、演奏するクレール・トゥズイ・デイ・テルズイの艶っぽさと相まって、グッとリアルなナマのライブ感に傾倒させていく。また、オープニングは、日中仏3国のダンサーが自国語で挨拶するところから始まるが、ピナ・バウシュのステージと同様に、ダンスを見に来て言葉を投げかけられるという驚きとその語り口の柔らかさから、可愛さまでをも感じさせ、ヒューマンな暖かさに会場が包まれていった。

背景のセットに電信柱が据えられているが、これもまた、何か懐かしい感覚を呼び覚ましてくれる。最近どこぞの国会議員が、「欧米のように電柱を地下に埋める工事は、ランドスケープを美しく保つために必要なのだ。」と言ったようなことを言っていたが、アーティストはその“美しくない”素材を持って、ノスタルジーという感覚を喚起させることに成功した。

ダンサーの力量は申し分なく、今回は様々な出身国のアクセントを活かした見せ場にて、欧米的なイメージに終焉しない、アジア的な拡がりをも持ったステージが展開していった。題名の「IRIS イリス」とは、目の虹彩やカメラの絞りなどの意味。「目の色の違う、様々な国の人が集まる作品だという意味を込めた」とドゥクフレ自身も語っているように、意図するところは充分に伝わってきた。

心地良い時間を過ごした後、まるで天上にでも昇ったような空間で迎える最後のシーンで、ドゥクフレの視点は国を飛び越え世界にまで広がり、時間や場所をも超越した「愛」を提示して観るものに心地よい刺激をサッと振り撒いた。数回のカーテンコールが起こった世界初演の本作は、これから、世界中で人々に幸せを振り撒くことになるのですよね。

最近のコメント

    アーカイブ