2009年 4月

開演のアナウンスが劇場空間に流れ終わる。すると即時に大音響で序曲が流れ始め、新聞の事件記事のコラージュを大写しで舞台幕に投影される。このアナウンスからの間髪入れない展開で、観客はグッと舞台に集中することになる。そして、米良美一演じる狂言廻し的役割のモリタート歌手が登場し「噂のメッキ・メッサー」を歌い始めると、本作独自の香りが立ち始める。何か、モダンアートのような挑発力が感じられる。この題材を元に、この今の時代に向けて発破を掛けるが如く、危険な香りが内包されているようなのだ。

舞台が進行していく中でその危険な香りは確信へと変わっていく。まず何と言ってもキャスティングの妙が、本作を予定調和へと収束させない危うさを演出する大きなポイントになっているのだ。

舞台は乞食王ビーチャムのアジトのシーンへと転換し、ビーチャムを演じるデーモン小暮閣下、ビーチャム夫人を演じる松田美由紀が登場してくる。これからどう展開していくのか全く予測がつかない布陣である。しかも娘のポリーは、安倍なつみである。敢えて出自がバラバラな人を衝突させて、そこでの化学反応を見ようとでも言うべきキャスティングである。デーモン小暮閣下は、自分自身が遊びでビーチャムを演じているが如く、個性をそのまま活かし演技と素の境目を感じさせない。また、独特のメイクはそのままで、他の役者のメイクのそのトーンがそれに合わせていて、それが先端なテイストを醸し出しているのが面白い。松田美由紀は細い身躯で太っ腹なおかみさんを演じる。このふたりが夫婦役として相性が合うかどうかは、もはや関係ない。個性が際立っていればそれでOKなのだ。安倍なつみもアイドルの殻を脱し、可愛くしたたかな女を演じて迫力がある。モー娘で鍛えた歌唱力と多くの観客を巻き込む力は、一朝一夕には出来ない芸当だ。

メッキ・メッサーは三上博史。今回は歌詞も担当する程の入れ込みようだ。照らいのあるスター性とでも言おうか、これだけ皆が弾けまくる状況の中、ひとり孤高の存在を保ちその存在感が揺るがないというのは、計算なのか資質なのかは判然としないが、一際目立つことは間違いない。しかし、彼自身の本質が閉じているのか、技術的なことなのかは分からないが、2階席にまではメッキ・メッサーのパワーが伝わって来ない。前半は安倍なつみとの絡みが多いが、後半は秋山菜津子演じるジェニーと大人の丁々発止を繰り広げる。秋山菜津子がまた色香漂う大人の女を演じて独特である。歌もいけることが分かりました。しかも逆さになって歌わせるなんて、宮本亜門はわざと実力派女優に難題を課したとしか言いようがない。けど楽しい。

警視総監役のブラウンが田口トモロヲであることも驚きだ。この役柄は、偉丈夫なベテラン俳優が演じるというイメージがあったが、田口トモロヲが演じることで現代っぽさが出たと思う。いい意味での軽さが、メッキ・メッサーを追い詰めていく冷淡さにも繋がっていく。しかも、メッキ・メッサーを好いているような複線もありで、このブラウンを幾重もの感情で積み重ねていく。

米良美一はエンディングに女王の役も演じるが、この異形の才能は次元を凌駕して全てのものを包み込むオーラを放ち事の一切を集約していくようだ。そのエンディングだが、これまでの世界観とは全く別次元の黄泉の国であるかのような輝きに満ちていて、ブレヒトが突き付けた都合のいいオーラスのスピリットに呼応した見事な解釈だと思う。

これらの異能を束ねて手綱を取る宮本亜門も、いつも以上に才能が炸裂して舞台に観客の目を釘付けにする。どのシーンも驚きに満ちていて、クルクルと目まぐるしく変化し続けるその湧き出るアイデアに唖然としてしまう。かなり良かったです。音楽の内橋和久もオリジナリティあるアレンジを展開して素晴らしい! 衣装の岩谷俊和もこの作品がアートへと昇華する一翼を担っていた。

本作は、異能が見事に個性を発揮し、最良の化学反応を起こしたと言えるのではないか。生身の舞台であるからこそ感じられる旬の魅力に満ち溢れ、ある種の祝祭劇のようにも思える演出のセンスも相まって、これまでに無い、独特の「三文オペラ」が出来上がったと思う。

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