勝地涼と笠原秀幸の二人が立ち上げたユニットである。勝地涼の兄と笠原秀幸が友人であったことから、「ともだちのおとうと」というユニット名が冠されているようだ。自分たちがやってみたいことをやりたいという思いが詰まった一回目の公演は、実に面白かった。
脚本・演出を石井裕也監督が担っているということも、本作を観たいと思った大きな要因であった。氏が映画で描くリアルな感情表現には共鳴することしばしばであったが、演劇というステージにおいて、映画とは異なるアプローチを仕掛けていることが新鮮であり、新たな驚きも与えてくれることにワクワクしてしまった。
時代設定は、何かの戦いの後の様な、荒廃とした世界。そんな世界に生きる勝地涼演じるロドリコは命を絶とうとしているが、果たせないでいる若者だ。一見、近未来に見えるこの設定は、もしかしたら、現代のメタファーかもしれないと思いを巡らせる。
そんなロドリコは、宇宙船を購入しようとディーラーを訪れる。宇宙船が購入出来る世界というのは、ちょっとわくわくする。近未来の設定なのかもしれないが、もはや時代設定はどうでも良くなってくる。
宇宙船のディーラーは、笠原秀幸演じる高校時代の親友クルピロで、久しぶりに邂逅した二人は、その出会いを喜び合う。そして、ロドリコはクルピロに宇宙船で夢に向かうのだと語る。勝地涼と笠原秀幸にとっての宇宙船はこの舞台で、二人で夢を掴むのだというリアルと本作の設定とがクロスオーバーする。
勝地涼と笠原秀幸の熱い思いを、石井裕也が見事に掬い取る。今の人生に満足しているのか、くやしくはないのかと、自ら問いただす姿は、もはや演じるという域を超え、今を超克しようともがく男二人の生々しいあがきが滲み出る。
宇宙船を購入したロドリコは、クルピロと共に、希望を目指して宇宙へと旅立つことになる。技術的な問題などはすっ飛ばし、二人きりで異空間へ飛び出し、未来を希求していく光景は何だか心地良い。これからどう生きていくのかを模索していくはずなのであるが、過去の出来事を呼び起こしながら、相手よりも優位なポジションに立ちたいという男のエゴも噴出させていく展開が面白い。
暇に任せて、役割を設定してロールプレイングをしてみたりするエチュードっぽいシーンなどはご愛敬だ。俳優のポテンシャルを引き出す石井裕也に、勝地涼と笠原秀幸に寄せる信頼が溢れ出ている。二人の魅力を最大限に引き出そうというクリエイターの意気がしかと感じられる。尖がり過ぎることなく、台詞に重点を置き過ぎることもない石井裕也の筆致は実に面白い。
二人が思慕していた高校時代のマドンナ、マチコが、映像で登場するのが一服の清涼剤の様な役割を果たしている。マチコは、吉岡里帆が演じている。差し込まれる映像が、異化効果を発し、二人が自分たちを客観的に見据えるスイッチになっているようでもある。宇宙空間の映像なども表現されていくが、玩具を弄ぶように敢えて力を抜いた風に見える映像は、石井裕也のセンスが大いに生きていると思う。
俳優二人のパッションが、才気溢れる映画監督の心を動かし具現化された本作は、自分たちが創りたい演劇を皆に提供したいのだという思いに満ち溢れている。そして、演劇はかくあるべきという呪縛から解き放たれ、新たな表現の地平を斬り拓いていく展開に観る者も魅惑されてしまうようなのだ。ナマの舞台でしか味わうことが出来ない醍醐味が詰まったオリジナリティ溢れる意欲作であった。
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