2007年 4月

堪能した。たっぷり3時間弱、この芝居の世界にどっぷりと浸かった。声高に社会的メッセージを訴えるわけではなく、外連味のある演出が施されているわけでもない。ただ、4人の男と1人の女の間を行き交う気持ちのすれ違いや共感を、シンプルに描いているだけなのだが、何故、こんなにも面白いのか。シンプルと言ってしまったが、直訳して“簡単”とか、そういう意味で言ったのではない。いらないものが何も含まれていない、という意味である。

三谷幸喜の才能、である! 映画などでは ? と思うこともあったが、さすがは舞台人。有無を言わさぬ傑作を生み出したと思う。

スーラ、ゴッホ、ゴーギャン、そして、シュフネッケルという4人の画家たちと、1人の女性モデル。今や誰も知らぬ者はいない有名画家たちに混じって、1人、知らない名前の画家、シュフネッケルが登場人物に配されているところが、三谷幸喜らしい視点である。名もない市井の人々に焦点を当てる独特の語り口が、伝え継がれてきた物語を、より一層、優しくふくよかなものにしていくのだ。興味の対象が、歴史、ではなく、完全に人に向いている。だから、事実を追うことが中心のテーマでは決してない。実際、その当時交わされていたであろう会話に思い巡らせることで、実に生き生きとした人物像が立ち上がってくるのだ。いや、この展開は、既に、大河ドラマで実証済みであったか。

三谷幸喜の筆致は、人物を面白可笑しく描くには留まらない。何せ、登場人物は、一癖も二癖もある芸術家たちである。その人物の中から、真意や本質を炙りだしていく。一般的には、きっとネガティブな様々な感情を次々に掴み出していくことで、逆に、それが観る者の共感を生んでいくのだ。

自分が売れていることを確認するために売れない仲間と共有するアトリエに通うという虚栄心やさげすみ、才能がない者に慰められることに対する怒り、明らかに自分より上の才能に対峙した時の羨望や憎しみ、自分には才能がないのだと気付かされた時の驚愕と今まで黙っていられたということの絶望、などなど目くるめくような勢いで怒涛のようにいろいろな感情が襲ってくる。そして、そのそれぞれの光景で、1人の女が、芸術家たちを優しく包み込んでいくのだ。4人それぞれに向けられえた励ましの歌が歌われると、スッと天使のような視点が生まれてきて、舞台の時間が次元を異にする。

舞台下手に設えられたグランドピアノは生で演奏されて、これもまた豊かな気持ちにさせてくれる。2幕目冒頭のちょっとしたサプライズもご愛嬌である。

中井貴一が、狭小な売れっ子画家を見事に造形。生瀬勝久の、エキセントリックな爆発もこの鉄壁のメンバーであると一方通行ではなく心地よく帰着する。寺脇康文の、洒脱な中にも斜に構えたスタイルが世をすねたアウトロー的な雰囲気を醸し出す。相島一之の、愚直なまでの素直さが潤滑油のような役回りで全体のバランスを保っていた。堀内敬子のあけすけだが心優しい女っ振りが格好いい。透き通るような白い肌も印象的だ。

スタッフワークも楽しんで取り組んでいるのが観るこちら側にも伝わってくる。堀尾幸男の細かに汚しの入ったアトリエのセットはとてもリアルであると同時に、終始煙を立てる煙突など随所に仕組まれた異化効果的なアクセントにファンタジーを見た。服部基の照明は、物語の時空が急に飛ぶ流れにも自然に呼応し、特にラストに向かうシーンの「美しい光~」と語られる台詞には、この上ない美しい光を造形し作者の投げたボールを見事に投げ返していた。

百聞は一見にしかず、としか言いようがないが、この面白さは半端じゃない。世界のどこででも上演して通用する話であると思う。国や時代を超えていると思う。傑作である。

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