2005年 1月

詩、である。心の叫びである。凍てつくような孤独の涙である。

この作品を前にして、観客は、陶然として立ち尽くすしか術がない。意識下の孤独を見透かされたような戦慄と安心を同時に感じつつ、音も無く頬を伝う涙の暖かさに、また、慄然としてしまうのだ。テオ・アンゲロプロス作品にあるように、「いくつの国境を超えたら本当の故郷に辿り着けるのだろう。」といった民族の中に潜む根源的な哀しみと相通じるような、人間の実在性を問われるようなヒリヒリした感触に、ヨーロッパの奥深さを感じ取っていく。

ソリスト・服部有吉をイメージの軸として作られたという本作は、単純に日本人としてうれしいし誇らしい気持ちである。純粋な若者が出会うさまざまな人や事。無垢であるがゆえにその視線に曇りはないが、傷つき疲れ果てる若者が再生するパワーは内なる氷点下の孤独と拮抗しながら、世界と対峙していく。日本人というヨーロッパでの異邦人が演じることで、逆に、孤独感が増幅し煽られていく。

ハンス・ツェンダーの解釈は、神経細胞にまで侵食するような斬り込み方にて、若者の内なる心象を絞り出していく。さまざまな効果音も駆使し、風景が自然と立ち上がってくるようだ。

また、今作が2001年12月16日に初演されたことは、一種、象徴的な出来事である。9・11を通過した直後の作品であり、若者の視線は確実に現代社会に向けられている気がする。
途中で途切れた階段で立ち尽くしあるいは転げ落ち、逆さに吊られた菩提樹の元で少女と踊る。出会うことすべてを、ただただ見つめる若者の心に降り積もっていく何か。壁一面の顔のポートレートがテロの犠牲者にも見えてくる。神は一体何処に居るというのであろうか。

終盤、背景の壁には天上から見た風景のごとく雲海が広がり、ここが、現実世界なのか、幻想であるのかが混然としてくる。この場が何処なのかが分からなくなってくる。これは、希望の前兆なのであろうか。

ひとり残される若者の元に辻音楽師が現れる。服部有吉とジョン・ノイマイヤーのデュエットはまさに圧巻! そして、ひとつの人生をやり遂げたかのように若者は最初に登場してきた扉の向こうへと帰っていく。シンシンと降りしきる雪の上で、辻音楽師は鳴らない太鼓を叩きながら、観客に哀切の笑みを投げ掛けながら幕は閉じる。明日に向けての希望は、決して放棄してはいけないのだ。ジョン・ノイマイヤーが発するメッセージは、暖かく気高かった。

2時間15分休憩無しのノンストップ。全く飽きることがなかった。何かもの凄い仕掛けがある訳ではないのだが、終始舞台から目を離すことが出来ない。全くもって戸田恵子演じる女優が魅力的であるからとしか言いようがない。キツイし面白いし可愛い。出演者がひとりという極めてシンプルな形体が、逆に観客の胸にストレートに響いてくる。というか、その彼女が体験してきたことを同時に観客も体験しているかのような共有感が沸々と生まれてくるのだ。女優としての力量の凄さを、凄いという方法ではなくさりげなく表現するその技量の巧みさに脱帽である。

女一代記を叙事詩風に謳い上げる訳ではない。日常の細かな人との触れ合いの中に生じる可笑しさや哀しみの積み重ねの中で、人は日々生きているのだということが、その女優の姿を通してひしひしと伝わってくるため、心が共鳴し元気付けられるのだ。どんなことが起こっても前向きに生きていく主人公の姿がすがすがしい。

女優はそこに居るであろう誰かと会話をしながら話を紡いでいく。その相手方は照明で表現されたりする。但し女優は、その状況自体を細かに語って聞かせるということはない。あくまでも、相手方との会話により話しは展開していくのだ。そこで、観客は想像力を求められてくる。小道具や衣装もしかりである。ぬいぐるみが毛皮のストールになり、旅館の浴衣の帯はガムテープ、可動式ミラーを斜めに倒しそこに毛布を掛けると病院のベッドになるといった手合いである。所詮舞台とは虚構であり、表現方法を自由に広げていくことが通じる世界である。装置の細部を緻密に再現したとしても、作りものであることに変わりはないのだ。表現と何か、ということにも思いを馳せてしまう。

独自の視点を持つ作品である。作・演出の三谷幸喜が女優を見つめる視点は優しく厳しい。神の目でもなければ、側近の語り部でもない。常に一瞬一瞬を精一杯生きてきた女優と生活を共にしてきた男たちの姿を女優に照射することで、常に女優が生き生きと映えてくるのだ。常に市井の人々の視線で物事を捕らえる三谷幸喜に視点は、観客の日常的な視点とずれることなく、違和感なく染み入ってくる。ましてや、会話の当意即妙は絶妙である。

人生というものをこんなにも楽しく軽やかに、しかも深く描いた作品に出会えたことが幸福である。過去を振り返るように、そこに居ない男たちと会話をする後半のシーンを見て、「死」というものを、何故かとてもリアルに感じてしまった。大仰ではなく日常に近いところに位置する「死」。怖いものではなく迎えるものである「死」。人は彼岸に向けて日々生きているのだということをあらためて教えられたような気がする。

この作品は、三谷幸喜のまさに「人生賛歌」であると思う。心にポッカリと浮かんだまま、この先しばらくは離れないのではないのかな、とも思ってしまう。

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