今回の「メタルマクベス」は、disc1から3まで演者を変えての3バージョンの公演であるが、しんがりのdisc3を観劇するために馳せ参じることになった。浦井健治と長澤まさみの共演が、どのような化学反応を示すのかという点に大いに興味をそそられたためである。
初演は未見なので全く無の状態で、宮藤官九郎が翻案し、いのうえひでのりが構築したシェイクスピアの「マクベス」にワクワクしながら対峙することになる。しかも、場はIHIステージアラウンド東京である。演劇を観に行くというよりは、イベントに参加するような感覚に近いかもしれない。
まずは、シェイクスピアの「マクベス」をこう翻案していくのかという宮藤官九郎の筆致にグイと引き込まれてしまう。「マクベス」の世界を借りながらも、全くの異界を造形するその果敢な勇気と才能に今さらながら脱帽してしまう。1981年と2218年の世界を行きつ戻りつしながら物語が展開していくという宮藤官九郎が創り上げた独自の世界にパンキッシュな外連味を盛り込み、アドレナリンが沸騰する高揚感を持たらすいのうえひでのりの演出が、劇場全体を支配する。作家と演出家の相乗効果がスパークする。
物語は1981年の時代にメタルマクベスという4人組のバンドが活躍していたという設定が成されているが、マクベス、バンクォー、マクダフ、そして何故かナンプラーとそれぞれにネーミングされているというところからして面白い。そんなメンバーたちを、このままではロクなことはないと言い放つ女ローズであるが、2218年の時代には将軍ランダムスターの夫人として生きる女をダブルで長澤まさみが演じていく。マクベスと将軍ランダムスターを演じるのは浦井健治である。
シェイクスピア作品からの端緒は如何にと思うが、「マクベス」の冒頭に登場する3人の魔女の予言はしかと刻印されていく。ツールとして1981年にリリースされたCDが予言の後押しをするという構成が面白い。
兎に角、膨大な台詞量と所狭しと動き回る運動量は半端ない。俳優は心身の限界に挑んでいるかのような過酷さである。しかし、どのシーンでも決して緩むことなどないフルスロットルな演技が連打されることで、観る者たちもエンパワーされていくのがしかと体感出来る。劇場全体が演者と観客とが作り上げる熱いパッションに包まれていく。
浦井健治は作品の中核に立ち、演技のほか歌や殺陣も駆使しながら、この上ないパワフルな作品を座長としてグイと牽引していく。長澤まさみは強靭さや狡猾さを内包しながらも、色香を放つ艶やかな存在で舞台に華を添えていく。浦井健治と長澤まさみは、マクベスとマクベス夫人のある種の共犯関係の寄り添い方を倣いながらも、どこか初々しい印象をも醸し出し、役どころを多層的に構築していく。
橋本じゅん、粟根まこと、右近健一など新感線のメンバーが、ガッチリと脇を締め、深刻に成り過ぎることなく、笑いを織り交ぜる表現の緩急の塩梅が絶妙だ。本作を演劇の枠を大きく逸脱したエンタテイメントとして成立させることに大いに寄与している。ラサール石井や峯村リエの個性が直情さとは対岸にあるふくよかなニュアンスを付け加え、高杉真宙や柳下大のパフォーマンスがフレッシュなパワー全開で若々しさを迸らせていく。
シェイクスピアを見事に換骨奪胎した「メタルマクベス」の面白さは、宮藤官九郎が描いた世界観に由るところが大きいと思う。いのうえシェイクスピアとは様相を異にするアプローチにて、海外作品でも類を見ないオリジナリティ溢れる「マクベス」として大いに楽しめた。才気漲る異能のぶつかり合いがタップリと堪能できるエンタテイメント作品として傑出した出来栄えであった。
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