1993年初演のトム・ストッパード作品の日本初公演である。トム・ストッパードが1980年代に「カオス理論」に魅せられ、その数学的構造を反映させた戯曲が書けないかと思考し本作が生まれたのだという。過去と未来とが交錯しながら物語が展開していく構成に、トム・ストッパードの意図が汲み取れる。また、劇中でも、数学的構造について言及するシーンが織り込まれていく。
イギリスにある貴族の屋敷を舞台に、19世紀と現代との時間が行き来する物語展開が刺激的だ。19世紀の時代に起こっていたことを、現代の人々が探求しているという対比が面白い。両時代を跋扈しながら、そこで一体何が起こっていたのかという事実を探っていく様相は、推理小説のようなワクワク感も味あわせてくれる。
19世紀の時代、屋敷には、著名な詩人バイロンが滞在していたという設定になっているが、そのバイロンは会話の中に登場するだけ姿を現すことはない。屋敷の令嬢とその家庭教師を基軸にシーンが繰り広げられていく。家庭教師ホッジを演じるのは井上芳雄。屋敷内という狭い世界に於いて、本業はもとより貴婦人たちとの鞘当てにも嬉々として奔走する伊達男だ。
現代、屋敷に滞在しながら敷地内の“隠遁者の庵”について調査しているバイロン研究者のベストセラー作家ハンナを寺島しのぶが演じ、19世紀にバイロンと共に屋敷に滞在していた詩人チェイターについて探ろうとしている大学の研究員を堤真一が担っていく。実力派舞台俳優がガッツリとセンターに据えられた、魅惑的なキャスティングだ。
バタフライ・エフェクトではないが、一言の発言や、ちょっとした行動が、時空を超え、いかに周りの人間に波紋を巻き起こしていくのかという連鎖を目撃出来るという楽しみが観客に与えられる。登場人物たちの言動の如何によって、物語はコロコロと変転を遂げていくのだ。
現代の人々は、過去に起こった出来事を探索していくのだが、19世紀の顛末を舞台上で既に目撃している観客たちにとっては、事の真実を右往左往しながら探っていこうとする者たちを観ることで、事の顛末を俯瞰しながらほくそ笑んで観察出来るという特権を与えてもくれる。
栗山民也演出は、戯曲の底に沈殿したトム・ストッパードの真意を掬い上げ、俳優たちの資質と繋ぎ合わせ融合させていく。しかし、美術に象徴されるのかと思うが、可視的なるものを自己の美学で塗り変える独自の審美眼の奔出をもう少し感じたかった。ガラスという設定の大きな窓の歪みなども、気になるところだ。
堤真一は、ある種浅薄な大学研究員を軽妙に演じ、作品に軽やかさを付与していく。寺島しのぶは、自説を曲げることのない作家像を造形しつつも、情に左右される感情を愛おしく発露させ目が離せない。最近はTV出演も多い井上芳雄だが、気になる異性にヒョイとアプローチすることに一切迷いを感じない、少々悪びれた家庭教師を魅惑的に造形していく。
19世紀の屋敷の夫人を神野三鈴が演じ、有閑マダムとも言えるアンニュイさを生々しく醸し出す。現代の屋敷に住まう直系の長男は数理生物学を専攻する変わり者であるが、浦井健治が役柄から可笑し味を引き出し愛らしく演じ、観客の共感を奪取していく。19世紀の詩人チェイターを山中崇が演じるが、感情的なクリエイター像を等身大に描いてみせ、親和性を醸成させる。
知的興奮を大いに味わい、頭脳をフル回転させながら、2つに跨る時代で巻き起こる刺激的なエピソードをタップリと享受し、生々しい人間の感情をも取り込むことが出来た稀有な作品が出来上がったと思う。欲を言えば、耳目を心地良く酩酊させてくれる独自の美学が付与されると、更に作品は美しく輝きを増したと思う。
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