男優だけで演じるという、この「お気に召すまま」は、その演出コンセプトによって幾重にもねじれたストーリをエンターテイメントとして提出することに成功するはずだった。今作は、成宮寛貴が、小栗旬に恋をする男装をした令嬢を演じるという設定がキーポイントとなっている。この1点を中心に周辺では様々な出来事が展開していくのだ。しかし、力量のせいか経験値ゆえか、成宮寛貴の存在感がぶれることがあり、初日2日目にもかかわらず枯れてしまった声のせいなどもあって、中軸を欠いた印象を持つこととなった。難しいシチュエーションであったと思うが、表層的な「女装」になってしまったと思う。但し、月川勇気演じるちょっとシニカルな令嬢との掛け合いなどはコミカルで笑いを誘い、全体を通しての真摯な姿勢には好感が持てるところであった。
成宮寛貴と比べ小栗旬は比較的「地」を投影出来る役柄であり、単純に比較しようにも難しいところであるが、育ちの良さが滲み出て役柄を自分に近づけていた。ただ、レスリングで敵を倒した時などに現れてくるであろう、力の「強さ」、の説得力に関してはいまひとつであった。また、ここでの音楽。ワルキューレの騎行はどうなのだろう? そのシーンとの確実な乖離を感じてしまったのは私だけであろうか。
脇を固めるベテラン陣は鉄壁だ。吉田鋼太郎は剛健にして柔和。襲ってきた小栗旬に食べ物を与え許すシーンなどは、その一瞬の出来事だけで観客の心の琴線に触れてくる。菅野菜保之は、道化のある種のパターンを完全に超えており、女を口説く皮肉屋というとても下世話な人間を嬉々として演じて見せた。
道化が背負う大きな荷物(「ハウルの動く城」を彷彿とさせられる!)、最終場近くに登場する巨大な福助など、リアルな造形とは別物のファンタジーの世界の彩色も施されている。今に通じるモチーフとして、宮崎アニメの影響を見てとったがどうであろう?
本火や生のヤギの登場なども観客を湧かせるが、通過儀礼の場と演出が称すアーデンの森の静謐な美術の中、人生喜劇は大団円を声高らかに謳い上げる。成宮寛貴の最後のモノローグもちょっとキツイ。呂律と語尾がどうしても気になってしまう。
カーテンコールはスタンディングオベーション! 何故? いや、新宿から30分強の埼玉の地での公演を完売させる程の集客が出来る主演パワーは決して侮れない。まあ、ファンである観客の大部分の人が楽しめたのであれば、成功といえるのかもしれない。彼女たちの心の中には、きっと何かが残ったに違いないのだから、ね。
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