主演の少年ビリー・エリオットの大々的なオーディションがスタートしたのは、2年程前であろうか。選りすぐられ、一流のスタッフの指南を受けた少年が、どのような活躍をするのかが、本作最大の興味のポイントだ。
本作の原典となるのは映画「リトル・ダンサー」。同作の監督であるスティーブン・ダルドリーがオリジナル・ステージの演出を担い、脚本家であるリー・ホールが脚本・作詞を受け持った。その布陣に参画したのがエルトン・ジョン。当代一流の音楽家の才能が加わることで、傑作映画が傑出したミュージカル作品へと変貌を遂げた。
採算の取れない炭鉱を閉鎖する合理化計画が発表された、サッチャー首相政権下の1984年。イングランド北部にあるイージントンという炭鉱町が同本作の舞台となる。ビリー・エリオットは、その町の炭鉱夫の家庭に生まれた少年で、当初はボクシングを習っていたのだが、そのボクシングのレッスンの後、同じ場所でバレエの教室が開かれていることで、そこに紛れ込んでしまうことになる。そこで、少年の才能が一気に開花する。
少年の成長&サクセスストートリーが縦軸として展開していくのだが、政府の通達に反旗を翻す炭鉱夫たちのムーブメントが横軸としてしっかりと描かれているのため、作品が重層的な様相を帯びてくるのは、映画と同様だ。社会的背景と個人の才能とが拮抗し合いながらも絶妙に融合していく構成が見事である。
父親を吉田鋼太郎が演じる回をと思いチケットを取ったのだが、旬の俳優のオーラが作品をグイと牽引していく熱量は半端ない。少年が中軸に立つ物語に、大人が抱える生活の辛苦と子どもを思う親の優しさとが綯い交ぜになった感情を付与し、見応えのあるドラマを紡ぎ上げていく。
人間的な魅力は、バレエの指導者を演じる島田歌穂からも強烈に発せられていく。スレンダーな出で立ちも見事に、炭鉱町でバレエを教える彼女の過去には何があったのかなどをついつい想像してしまうような、重層的な人間像を造形し見事である。魅惑的な彼女に目が釘付けになってしまう。
ビリー・エリオットを演じるのは加藤航世。バレエを出自とするのか、ダンスの舞いのクオリティの高さは、観客の視線をグッと引き寄せる。バレエの他にも、タップやジャズダンス、器械体操、そして、演技に歌と、あらゆる技能を駆使しなければならないタイトルロールを、確実にこなしていく。
ビリー・エリオットの友人であるマイケルを演じる古賀瑠のキラキラと輝く存在感が、何とも愛らしい。加藤航世とタップを刻むシークェンスを、本作の大いなる見どころにさせたのは、古賀瑠の力量が大いに寄与していると思う。期待の逸材だと思う。
大人になったビリー・エリオットを演じる栗山廉と加藤航世とが共に舞う光景は、作品中盤のクライマックスとも言えるシーンだ。この夢のように美しいシーンが挟み込まれることで、物語が時空を超えた視点も獲得し、シンボリックに作品に聳立する。
袋小路にある現在から、才能ある若者に未来を託す意気を溌剌と描いた逸品である。こういった状況に共感する人々は、意外に多いのかもしれないと感じ入る。出演者によって、全く違った肌触りの感触になるであろうポテンシャルも感じられる、重層的で繊細な作品と向き合える幸福感を堪能する喜びにたっぷりと浸ることが出来た。
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