神奈川芸術劇場<ホール> 18時開演
原作:小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
演出・構成・原案:宮本亜門
台本:高羽彩・宮本亜門
音楽:福岡ユタカ
振付:小野寺修二
美術:ボリス・クドゥルチカ
映像デザイン:バルテック・マシアス
衣装:前田文子 照明:渥美友宏
出演:山本裕典、安倍なつみ、橋本淳、花王おさむ、大西多摩恵、若羽幸平、橋本まつり、高桑まつり、鉾久奈緒美、益岡徹
宮本亜門はKAATに於いて、NIPPON文学シリーズとして古典を換骨奪胎する試みを続けてきているが、本作はそのシリーズの第3弾として企画された公演である。そして、企画の意図通り、新たな発想や表現を持ち込むことで、NIPPON文学の中に潜む日本の精神性を掴み出し見事な出来映えになっている。斬新とも言える手法を取りながらも、観客の心に沈殿した想いを作品とスパークさせ、古典を現代に甦らせる才能に脱帽する。
ラフカディオ・ハーンの原作を、高羽彩と宮本亜門が再構成、台本化しているが、「怪談」書き進めていく作者自身が登場し、作品世界と自らの過去とを行き来する幾重もの世界を現出させる趣向が興味深い。その巧みな構成が作品の精神性に肉迫し、夢幻の世界とも呼応させることで「怪談」の真髄を染み出させていく。
また、昨今の宮本亜門演出の特質であるのだが、固定化させない各分野の異能のスタッフの仕事振りをまとめ上げることにより、実にオリジナリティある効果を生み出すことに成功している。
美術のボリス・クドゥルチカは「金閣寺」に続くコラボレーションとなるが、作品世界を外側から構築するのではなく、作品の中の世界にダイブし、内側から物語を紐解いていくかのような目くるめく展開に酩酊する。此岸と彼岸、現と幻想世界を、まるで、襖を開け閉めするかにように、瞬時に時空を転換させる手腕が圧巻だ。ブレヒト幕の新しい展開とも言える。
映像デザインは、バルテック・マシアス。世界を股に掛け活動しているビデオ映像アーティストだ。氏が繰り出す映像は、ボリス・クドゥルチカの世界と見事に融合し、幽玄的な「怪談」ワールドを創造していく。装置や人物などに映像を投影させ、被写体に幾重もの衣を纏わせることにより、現存するモノや人のリアルさを異次元空間へと誘っていく。
「金閣寺」に引き続き福岡ユタカが創り出すミニマムな音楽は、物語に静謐な静けさを付加させていく。聴覚に於いても観客の感覚を刺激し、耳目は舞台へと取り込まれていく。
振付は小野寺修二が担当するが、大駱駝艦の演者たちに施された振る舞いは、人形を扱う文楽の黒子のそれだ。宮本亜門によるアイデアであると思うが、従来の黒子よりも感情表現豊かに演じられる影の人々が、操り、操られる、此岸と彼岸の在り方を一気に視覚で納得させていく。
タイトルロールである芳一を演じる山本裕典が、芳一に巣食う“虚”を明晰に表現していく。幽玄の人々が心の隙間に入り込み、その思惑に翻弄される芳一にリアリティを与えていく。琵琶を掻き鳴らす姿も様になっている。
彼岸から芳一を翻弄する幼くして亡くなった安徳天皇を、安倍なつみが毒を秘めたピュアさで表現していく。闇の世界に芳一を引きずり込む役回りであるが、お互いの中にある“虚”な心が共振し合う響きを奏でていくため、単純な悪として描かれることはない。人形との競演もしっくりと馴染み、見応えある人物像を造形する。
小泉八雲は益岡徹が演じるが、現実と自らが描く作品世界とを隔てる薄い皮膜をスルスルと行き来していく。黄泉と現実を繋ぐ物語の中核にスクっと立ち、底から作品を押し支え安定感を与えていく。
橋本淳が芳一をサポートする佐吉を演じ、芳一の陰と対照的に人間の陽の側面を浮き彫りにする。花王おさむが和尚を軽妙に演じ、大西多摩恵が小泉八雲の妻や芳一の母の幻影など様々な女性の在り様をしなやかに体現していく。
NIPPON文学の奥底に忍び込んだスピリッツの真髄が、様々なクリエイターたちが結集することで見事に劇化することに成功した。宮本亜門のプロデュース能力全開の秀作に仕上がったと思う。
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