東京芸術劇場 プレイハウス 19時開演
作:野田秀樹 演出:藤田貴大
出演:勝地涼、飴屋法水、青柳いづみ、山崎ルキノ、川崎ゆり子、伊東茄那、小泉まき、石井亮介、斎藤章子、中島広隆/宮崎吐夢、山内健司、山中崇/松重豊
(ミュージシャン)青葉市子 Kan Sano 山本達久
野田秀樹の戯曲の中で、傑作とも難解とも言われる同作の演出に臨むのは、若くして秀作を連打する、マームとジプシーの藤田貴大だ。藤田がどのように、野田戯曲に取り組むのかが本作の一番の見所だ。
開場された劇場内に入ると、ステージ上の其処此処に据え置かれた装置が白い布に覆われた光景が目の前に広がり、既にマームとジプシー=藤田の世界が現出しているのが見て取れる。上下の両袖も遮るものなくオープンになっているため、開演を待つ待機中の俳優たちの姿も見える様相だ。演劇は作りものなのだということが、自然にディスクロージャーされていく。
物語がスタートすると、まるで野田秀樹作品に接しているとは思えないその感触が新鮮で、舞台から目が離せなくなっていく。台詞は原本のままなのであるのだが、野田の言葉のレトリックに翻弄されることなく、物語の真髄を掴み取っていこうとする藤田のアプローチは独特で、まるで、不条理劇のような静謐な世界を現出させていく。
勝地涼が物語の中心に聳立するが、スターとしてフューチャーされ過ぎることなく、あくまでもアンサンブルの一員としての役回りを担っていく。松重豊が重鎮の存在感をキリリと残すが、俳優陣は物語を創造するための要員であり、演出の視点は、時空を縦横無尽に跋扈する人々が背負う“思い”紡いでいくことに集中していく。
戯曲に刻印された言葉を頼りに、大海原へと航海の舵を取る藤田の手綱捌きは、いたって冷静だ。先達が創造した方法論を敢えて避けるかのように、オリジナルな表現を追及していく様は真摯だが革新的でもある。当り屋の話なので、実際の車やエンジン・カートなども出てくるのだが、機器が持つ疾走感とは無縁で、時空を行き来するための手段として機能させていく。
藤田の真骨頂であるリフレインによるシーンの反復運動と、時代を自由に行き来する野田が筆致する観念とが呼応し、観る者の無意識部分に言霊がダイブしていく。野田演出が、クライマックスに向かってカタルシスを醸成していくのとは違うアプローチにて、藤田演出はあらかじめ起こってしまったことを検証していく様な冷静さを持って荒馬を手なずけ、身体の内側から滲み出る様な官能性を獲得していく。
観念的な域で物語が語られていくのかと思いきや、俳優陣は、その誰もが、演じる役に身を投じ、リアルに生きる人物を造形しているというのが驚愕だ。野田が創造したパラレル・ワールドに人間的な温かさが付与され、作品に不思議な透明感が生まれていく。
野田演出のダイナミックさとは様相を異にする藤田貴大の繊細な手捌きにより、野田戯曲が見事に換骨奪胎された。藤田が演出する、他の既成戯曲作品も観てみたいという思いにも駆られた。これからも楽しみな逸材だ。
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