青山円形劇場 17時開演
作:野田秀樹 演出:中屋敷法仁
振付:小野寺修二 音楽:阿部海太郎
出演:黒木華、柄本時生、玉置玲央、小野寺修二/竹内英明、傳川光留、寺内淳志
野田秀樹の「赤鬼」である。初演以来、数々のバージョンを観てきている。タイ人公演をバンコクにまで観に行ったことなどを思い出す。本作は、「赤鬼」というタイトルにも似て、野田秀樹作品の中において、“鬼っこ”というか、少々異色な位置付けにある作品だと感じてきた。
その逸品を、新鋭・中屋敷法仁が演出を担うという。どうやらオファーは、中屋敷法仁から野田秀樹に成されたらしい。今、この“鬼っこ”を世に問う意義を、何に、何処に求めていくのか? その興味は観る前から尽きることはない。
客入れの時点から、出演者が円形劇場のセンターに設えられたステージに幾たびか登場し、闊歩していく。知らず知らずの内に、観客の視線を舞台に注視させていく。俳優陣の俊敏な動きに、創り手の瑞々しさを感じ取っていく。幕は切って落とされた。
物語は堰を切ったように、観客席へと迸り出る。クルクルと転回するシーンを、中屋敷法仁は、しっかりと確実に刻印していく。様々な村人たちを演じ分けていく3人の俳優陣に台詞はないが、彼らが造り出す人物像が状況を雄弁に物語るため、そのシーンが何を示すのかは瞬時に明らかになる。その中に、3人の登場人物、あの女、とんび、水銀が、飛び込み、縦横無尽に動き回ることになる。
黒木華、柄本時生、玉置玲央ら俳優陣が、跳梁跋扈する様が活き活きと生命力を持って描かれていく。ストレートに発せられる意気軒昂さなオーラに、ついつい翻弄されていってしまう。その若いパッションが、本作の大きな魅力となっている。
異分子である赤鬼を演じるのは、小野寺修二。特別な装いを施すこともなく自然体なままで存在するため、当たり前だが見た目は日本人だ。3人の若者たちと、ルックス的には変わることがない。此処が、本作のポイントだ。よそ者とそうではない者との隔絶を、外側からではなく、共同体の内側から暴いて見せていく試みが成されていく。
小野寺修二演じる赤鬼は、日本語を解せるようでもあり、まるで分かっていないようにも見える。その曖昧さ。異分子ではあるのだが、明確にその相違が露見しない。“何となく違う”に、今の空気感を感じることになる。これが、2014年の「赤鬼」なのだ。
小野寺修二は、振付に於いてもその手腕を発揮する。役者をキビキビと、まるでダンサーのように動き回させる。そこに瞬発力ある勢いと、ある種のスタイルが生まれてくる。あくまでも破天荒に散逸していくのではなく、物語にある種の行動規範な様なものを載せていくところが、また、中屋敷法仁の特徴である気がする。
黒木華は、勘三郎と野田秀樹との共演作品も観ているが、格段に演技力と貫禄と華を身に付けてきているなと感じ入る。芯に立つ主役としての存在感が確実に増している。しかも、観る者の共感性を誘う柔らかさを併せ持っているところが魅惑的だ。
柄本時生は特異な演じ手だ。茫洋とした見た目を個性として活かしながら、飄々と役柄を凌駕していく様が心地良い。玉置玲央の、観客に真情をリーチさせる技もまた、作品の成果の一翼を担い目が離せない魅力に満ちている。作品のクオリティを左右するキャスティングは、見事に成功したと思う。
和をモチーフとした高木阿友子の衣装や、物語のうねりを表現した土岐研一の美術、さりげなく場面転換を魅せた松本大介の照明、日本を起点とするルーツを上手く掬い取る阿部海太郎の音楽も、新鮮な驚きを与えてくれた。
中屋敷法仁が意図した「赤鬼」の世界観は、確実に観客にリーチした。知力ある若さと、野田秀樹が描いた問題提起とが、見事にブレンドされ、現代の「赤鬼」が誕生したと思う。若手クリエイターの筆致による、こうした刺激的な作品が享受できることも、今後、大いに期待したいと思わせる見事な出来映えだと思う。
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