神奈川芸術劇場 ホール 18時開演
脚本:福原充則 演出:河原雅彦
音楽:Only Love Hurts(面影ラッキーホール)
出演:古田新太、小泉今日子、高畑充希、三宅弘城、高田聖子、山中崇、政岡泰志、駒木根隆介、三浦俊輔、高山のえみ、田口トモロヲ 他
面影ラッキーホール、現在は、オンリー・ラブ・ハーツとなったユニットの楽曲が中心に聳立し、作品を支配していく。これまでに制作された作品群から、多くの楽曲の中から選りすぐられた作品たちによって物語が構成されていく。
歌によって物語が進行する体裁だけを見れば、ミュージカルというジャンルに括られるのかもしれないが、本作は、欧風なその呼称にちんまりと納まる様なヤワな代物ではない。“歌謡ファンク喜劇”と冠されているが、まさに、歌謡曲が孕む情念や艶、色香などが染み出て、昭和の歌謡ショーを彷彿とさせられる煌びやかで華やかさを誇りながらも、生活臭漂う現実的な世界が提示され、類のないエンタテイメント性を獲得し得ている。河原雅彦が造形したかったのであろう、独自の世界観が現出する。
エンタテイメント・ショーの要素をしっかりと打ち出しつつ、演劇的な醍醐味もタップリと堪能できる贅沢さも、また、観る者に心地良さを与えてくれる。この作品の意図を成立させるためには、そこに立つ役者陣の説得力に大きなウェイトが掛かってくるのだと思うが、居並ぶ猛者たちは作品形成に大いに寄与し、見事に「いやおうなし」な世界を其処此処から押し支えていく。
物語のセンターに立つ古田新太の揺ぎ無い存在感が作品をグイグイと牽引し、小泉今日子が色褪せることのない永遠のアイドル像を裏切ることなく表現し、今に生きる女性像と融合させリアリティを持って演じていく。まさに観客が観たいと思っていた、古田新太、小泉今日子像を拝めるのは、何とも満足感に浸ることが出来、嬉々としてしまう。
田口トモロヲの常人より半歩ずれた異物感が、作品を一ところに収焉させることのない大きなパワーを放熱していく。高畑充希のピチピチとした生気溢れる弾け具合が、作品に若々しい新鮮さを与えていく。
三宅弘城が、緩急自在に小悪党と小心者を抱合した男のいじましさを噴出させるが、ついつい同調してしまうような愛嬌についついほだされていってしまう。高田聖子の小悪女振りがなかなか堂にいっており、作品に奇妙な違和感と安定感とを同時に与えていく。山中崇が時代から少々ずれたコンプレックスを持つ生真面目な青年を、決して綺麗に納めることなく、役柄から軽薄さを掬い取ってコミカルに演じ、ついつい同調してしまう。
あまりにも楽曲が強烈なため、そのタイトルだけでも幾つか抜粋することで、この作品世界を垣間見ることが出来るのではないかと思う。
「俺のせいで甲子園に行けなかった」「好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた」「あんなに反対していたお義父さんにビールをつがれて」「ひとり暮らしのホステスが初めて新聞をとった」「北関東の訛りも消えて」「おみそしるあっためてのみなね」「パチンコやっている間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」などなど。心地良いメロウなメロディに身を任せながらも、聴く者を突き放したかの様な詩世界とのアンバランスさは、正統派ミュージカルの真逆の道を辿りながらも、前人未踏の領域へと突き進んでいく。
いやあ、楽しかった。俗世間の下世話なエピソードを積み重ねつつ、人間誰しもが内に秘めたる過去の清算しきれないもやもやとした情念を描き傑出した作品に仕上がったのではないだろうか。悲嘆をものともしないパワー全開な登場人物たちに接することで、観る者がエンパワーされ、明日への活力となる作品に仕上がったと思う。
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