東京芸術劇場プレイハウス 18時開演
作;ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:松岡和子 上演台本・演出:藤田貴大
衣裳:大森伃佑子
音楽:石橋英子、須藤俊明、山本達久
ヘアメイク:池田慎二 照明:富山貴之
音響:田鹿充 映像:召田実子
出演:青柳いづみ、あゆ子、石川路子、内堀律子、花衣、川崎ゆり子、菊池明明、小泉まき、後藤愛佳、西原ひよ、寺田みなみ、豊田エリー、中神円、中村夏子、中村未来、丹羽咲絵、吉田聡子 / 石井亮介、尾野島慎太朗、中島広隆、波佐谷聡、船津健太 / 山本達久
藤田貴大が手掛ける「ロミオとジュリエット」は、シェイクスピアの戯曲を解体し、再編集をした、全く独特の構成にて作品を提示する。誰もが知る名作に手を入れるとは、大胆不敵ではあるが、そのタッチは非常に繊細だ。
物語は、ジュリエットが眠る墓場からスタートする。戯曲ではロミオとジュリエットの命運が分かれるクライマックスとも言えるシーンであるが、物語のクライマックスとも言えるシーンをオープニングに据える大胆さに目を見張る。
大胆なのはキャスティングにも反映されている。ジュリエットはもとより、ロミオも女性が演じていくのだ。ロミオを青柳いづみ、ジュリエットを豊田エリーが担っていく。女性が演じる男役は、男の擬態に依ることは一切ない。大森伃佑子の衣装もロミオに男の装いを託すことはない。かといって、女性が女性を好くという領域に入ることもない。人が人として、人間を愛するという普遍的な感情を、戯曲の奥底から掬い出そうとしている様なのだ。
藤田貴大演出は、感情のストレートな発露に向かわぬ演じ手の表現が独特だが、本作は日常生活の延長線上にはない物語。恋して死すまでの5日間に説得力を与えるために、俳優陣は担う役柄に自己を染み込ませ、とめどなく溢れる思いに抑制を利かせながらも、観る者の共感を誘っていく。
マームとジプシーの面々と、オーディションで選ばれた豊田エリーなどの俳優陣とが拮抗し合い、スパークする様が刺激的だ。ここまでパッショネイトに感情を溢れ出される青柳いづみを見たのは初めてかもしれない。思いの丈を叩き付け合うそのストレートさが、ロミオとジュリエットの若気の至りに説得力を与えていく。
山本達久のライブ演奏も作品に緊迫感をもたらせていく。ステージとの緊密なコラボを超越し、演奏者が作品の一部と化していく。傍観者のようでいて、いつしか参加しているというボーダーレスさ。まるでコロスの如く、展開する物語を見届ける視線も観客の眼差しとクロスオーバーする。
しかし、どんどんと舞台美術を転換し、次から次へと新たなシーンを創り出すスピーディーな展開は、藤田貴大の独壇場だ。その目まぐるしい速度と、ロミオとジュリエットとの疾走感とがしっくりと融合していくのが面白い。未来に向かってひた走る若者が抱合するパワーの洗礼を浴びることになる。
未来を信じ、希望を追い求める思いを失った時点で、人間は老いていくのかもしれない。老いるということは、死へと近づくこと。タナトスと背中合わせのエロスが共存するのが、このロミオとジュリエットなのだと再認識させられる。恋に恋する恋人たちを描きながら、希望を希求する未来に向けての思いを持つ大切さを本作から感じられたことは、得難い体験であったと思う。
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