よみうり大手町ホール 17時30分開演
作:ユージン・オニール
翻訳:徐賀世子
演出:栗山民也
出演:篠原涼子、佐藤隆太、たかお鷹、立石涼子、原康義、福山康平、俵和也、吉田健悟
ユージン・オニール作「アンナ・クリスティ」は、グレタ・ガルボ初のトーキー作品であるという触れ込みは知ってはいたが、舞台での上演作品として接するのは初見である。また、よみうり大手町ホールで演劇を観るというのも初めてである。本年2018年に上演する際に当たり、一番の興味は、タイトル・ロールでもあるアンナ・クリスティという女性をどう捉え、どう描いていくのかという点に、一番の注目が集まるのではないかと推測される。
篠原涼子が13年振りの舞台出演であるということが、本作最大のトピックスであろう。映像でのワークが多いのだと思うが、どのような魅力を放ってくれるかということに大いに期待感が高まってもいく。
ユージン・オニールは自身の経験を戯曲に反映させていたという。冒頭の舞台となる酒場や、はしけ船を住まいとする設定などに、船員であったユージン・オニールの生活の匂いが立ち上る。幕が開くと同時に、「アンナ・クリスティ」の世界観に引き込まれていくことになる。
しかし、仔細なことなのであるのだが、酒場でのシーンで度々、客にビールがサーブされるのだが、これが泡だらけでジョッキの半分位の量しか注がれておらず、これを旨いと言って飲んでいるというフェイクがあまりにも気になってしまう。注ぐのならきちんとして欲しいし、注がないという見せ方もあるのではないかと考えてしまう。冒頭からこんなことに気持ちが持っていかれてしまうのは、何とも残念だ。
ビールのことは忘れ、気を取り直して舞台と向かうことにする。5歳の頃に親戚に預けていた娘が、たかお鷹演じる父クリスのもとに戻ってくるという。成人した娘アンナ・クリスティを演じるのは篠原涼子である。登場した途端に、これまで辛い人生を送ってきたのだなと分かる疲れ具合が胸に迫る。親戚の家で虐待を受け家を飛び出し、娼婦に身をやつしていたことが語られていく。
時代を経ても古びることのない虐待などが織り込まれた物語設定から、相も変らぬ人間の性が浮き彫りになっていく。はしけ船で暮らす父の生活にも格差問題が透けて見えてくる。1921年の作品が、古びることなく2018年の今の時代に違和感なく斬り込んでくる。
難破船から助け出されたマットが登場することで、物語が大きく変転していく。マットは佐藤隆太が演じていく。マットはアンナ・クリスティの過去は知らず付き合い始めることになるが、マットが結婚を口にするようになるとアンナ・クリスティは自分の過去を隠しておけなくなってくる。マットは自分の過去の武勇伝は隠すことなく公言しているのだが、アンナ・クリスティの過去を聞いたマットは激高し、罵倒する。
現代の観客は、マットの過去は何も言及されず、アンナ・クリスティの過去だけ取り沙汰されるのかと訝る方が多いのではないかと思う。しかし、執筆された当時は、事情はきっと違っていたのではないかと推測される。約100年の時を経て、モラルが変転したことを確認することにもなる。篠原涼子がアンナ・クリスティという女性が孕む相克を表現し、現代の観客の心情に生々しい存在感を刻印し印象的だ。
アンナ・クリスティとマットは決別するのだが、クリスとマットが同じ船でケープタウンに行くことになるという顛末が面白い。初演当時は、甘いハッピーエンドと称されたらしいが、人の意思だけではままならぬ運命の流転が悲喜劇を綯い交ぜにし、この後の3人の行方を観客の手に委ねる展開が粋である。人間を俯瞰で捉えた悲喜劇を篠原涼子がグイと牽引し、観客にブリッジさせる魅力的なアンナ・クリスティを造形し見事である。
最近のコメント