新国立中劇場 19時開演
作・演出・出演:野田秀樹
出演:宮沢りえ、阿部サダヲ、手塚とおる、高橋由美子、大沢健、有薗芳記
芝居が始まるとその旗は振り落とされ、奥行き深い劇場の奥の方まで見渡せる、一面何もない砂丘をイメージさせる空間が広がる。
舞台を凝視するが、反応は冷静といった感じ。
野田秀樹、13年前の作品の再演。クルクルと目まぐるしく迸り出る才気溢れた本作は、若さによるスピード感と天才が駆使する言葉によって疾駆した前回とは異なり、今の日本の立ち位置をきっちり見据えながら、憂うべき未来に向けての警鐘とも言うべき深く広いメッセージを観客に突きつけてくる。
砂丘という何もない空間。燃えた日の丸の赤い丸の部分から顔を覗かせる星条旗。新聞紙で作られた登場人物たちの衣装。20世紀で滅びるものを未来に受け継がせようとする行動自体が虚しいと思える程、今、ここに生きる私たち自身は、アイデンティティというものを一体何処に置き忘れてきてしまったのか?という思いが募る。そんな思いに駆られれば駆られる程、私たちは“この世界”にどっぷりとはまっていってしまうのだ。
13年前の地点より、まさに2004年の今の方が、強烈にそのテーマはくっきりと浮かび上がってきたのではないか。本当の自分の居場所を捜しては悩み、模索し、自分なりの答えを導き出そうとする、ヘレン・ケラ、透アキラの、ギリギリの思いと選択が、私たちの心を揺さぶるのである。そして、ある種、諦めにも似た、達観した客観で観客を湧かす野田のサリババ先生が、まさに、作者・野田秀樹の立ち位置かもしれない。
宮沢りえの清楚な輝きは、舞台に一層の華やかさを与え、阿部サダヲの洒脱は、テーマを決して収束させない独特のパワーを振りまいていた。
日比野克彦の衣装が秀逸。前述の新聞紙をモチーフとした衣装はもちろん、透明人間に鮮やかな色彩をまとわすなど、その発想の根拠ある大胆さが目を引いた。
この作品の後、「パンドラの鐘」「オイル」を記すことになる野田秀樹ではあるが、現在の地点から過去をあぶり出すその2作とはアプローチ方法が異なる本作に、現在から未来に向けての思いを発する未来を信じる強い思いを垣間見た気がした。
野田秀樹は、これから未来について書くことがあるのだろうか? いや、堂々と未来を語ることが出来る時代はこれからやってくるのだろうか? そんなことを問いかけられたような気がした。2004年であるがゆえに発せられるメッセージを、我々はどう受け取っていけば良いのかを真摯に考えさせる作品であった。また、時代を超えて語りかける野田戯曲の普遍さに、改めて驚愕させられる本作でもあった。
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