シアターコクーン 19時開演
演出:マシュー・ボーン
出演:サム・アーチャー、ユワン・ウォードロップ、リチャード・ウィンザー 他
まず、1役を2~3人で演じるという発想が面白い。1人が何役かを演じることはしばしば行われるが、その逆のこのアイデアはブニュエルの遺作あたりからのインスパイアか。
この発想は人の心理を多重に考察することに成功し、観客に更に創造性を掻きたてさせることとなった。同じ人間との接し方もそれぞれ様々であり、従って行動パターンも自ずと違ってくる。但し、その差異を考察するという難しい方向には決して向かわず、同時に行われるこのキレの良いダンスは、群舞としての面白さにまで昇華していた。
ハロルド・ピンター+ジョセフ・ロージーの映画「召使」をモチーフとしたストーリーも興味深い。イギリスの根底にある階級社会を揶揄することで浮かび上がるバカバカしさが、うまくブラックユーモアへと繋がり、後半、下世話なあれこれのシーンを重ねることで人の立場が逆転していく様は、痛快ですらある。その転覆の仕掛け人が「召使」であるのだが、全てを知る者が知恵を絞り策略を図ることで、何かを変化させることが出来る訳で、盲目のまま地位や名誉という砂上の楼閣に安住し続けることは出来ないのだという、普遍的なアイロニーをも醸し出してくる。
堕ちていく罠は全て性衝動に起因する故、ダンスもエロチックな絡みが多くセクシーなシーンが続いていく。特に後半の主人公のアンソニーとメイドのシーラがキッチンテーブルの上で繰り広げるラブ・シーンは、押したり引いたりの緊張感あるやりとりで、禁じられた一線を越える動揺が観客の心をも疼かせることとなった。とても美しいシーンである。
召使プレンティスやトランペット吹きのスペイトとアンソニーとの関係性の微妙な曖昧さも創造力を掻きたてる要因となり、人を描くにあたりこういった解釈の余地の在る不明確さは作品全体のクォリティを引き上げることになった。良い者悪い者といった単純な図式は成立しないのだ。
60年代ファッションや、ジャズのオリジナルスコアの酔い心地も満点で、こんな粋なステージが日本でももっと沢山見ることが出来るといいな、という思いを強くした。
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