2004年7月11日(日)晴れ
彩の国さいたま劇場大ホール 14時開演
「バンドネオン」
2004年7月18日(日)晴れ
新宿文化センター大ホール 14時開演
演出・振付:ピナ・バウシュ
美術:グラルフ・エザールト・ハッペン
衣装:マリオン・スィート
「バンドネオン」3方が壁に囲まれたボールルーム。椅子が散在している。
ピナを、ピナの演出を見に来るのだ。
しずしずとカーテンコールで登場するピナを見るだけでも、行く価値がある、と毎回思わせてしまう魅力とは何なのであろうか。全編を通じて一貫している個の哀しみと可笑しみが相まって、自分の魂が思いを馳せた過去と現在とを自然に行き来し始めてしまうのだ。意識は彷徨いながらも、心地よい暖かさに包まれ、また小さい時に本当に楽しかった遊戯を繰り返していた無邪気さをフッと取り戻したりして、スッと半歩宙に浮いたかのような浮遊感を味わう中、知らず知らずの内に心の何処かで涙しているのだ。
「天地」は強烈であった。生きとし生けるものの共生とも言うべき、融和の精神が心にずしりとくる。ステージから大きく突き出した鯨の尾びれがシンボリックだ。人々は皆、踊ることで、天と地を讃えているかのように、力の限り踊りを繰り返す、さまざまなシーンにおいて。日本を題材としているだけに、白塗りの舞妓にような出で立ちであるとか、おじぎの連発であるとか、着物が出てきたりとかも我々には楽しい。また、身の回りには日本製品が溢れ返っている話、都会のネオンの話、温泉の話など、いつものたどたどしけれども愛嬌のある可愛い日本語のパフォーマンスも、会場を暖かい空気で包んでいく。
踊りは溢れ出す感情を迸らせるというより、もっと私的で精神性が高いのでは。もくもくと「道」を究めるかのごとく、ひたすら踊りに精進しているといった風だ。ピナの日本観の表れであろうか。明らかな符合のない「日本」ではあるが、同時代的に現代を憂うる気分と日本の精神をシンクロさせたのであろうか。終盤は雪が舞い散る中、ダンサーがソロで繋ぐ連作であり、個に終焉し成就してく何かに、また、新たな光が見えてきたような気がした。
「バンドネオン」は、1980年の作品だ。男女の情念の行き交うボールルームで全ては展開される。頬を打ち合う男女、床に倒れて叫ぶ女、ひとりひとりが登場すると回りの者は拍手し褒め称えの繰り返しの連続。初老の男性は何故かバレエのチュチュを着てステージのそこかしこで佇み、何か自分の意志を伝えたいようだ。前半の終盤、壁に架かった幾枚ものボクサーの巨大な写真を取り外し、床のシートを剥がし、何もない空間へと場は変貌していく。引き剥がす作業を延々見せた後、休憩に入るというその展開!呆然と人の痕跡が消されていくのを、私たちはただ見続けるしかないのだ。
後半、男女のカップルが腰を床について絡み合い、タンゴの調べに乗って踊るさまは滑稽のようでもあり、また、歪んだ熱情の現われのようでもある。相手を物凄く欲しているのに、愛されたいのに叶わない。行き違う気持ちの行き場を模索する悲しさがふつふつと湧き出ると、何故か微笑みが生まれてもくる不思議さ不可解さ。
人間洞察の果てに辿り着いたある「地点」から照射される逆光は、辛くもあるが、魅惑的でもある。ある種のエンドルフィンにも似た麻痺さ加減が、何故か中毒になってしまうようなのだ。
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