自由劇場 午後5時30分開演
台本・歌詞:スティーヴン・セイター、音楽:ダンカン・シーク
原作:フランク・ヴェデキント
演出:マイケル・メイヤー
出演:柿澤勇人、林香純、厂原時也、勝間千秋、加藤迪、金平真弥、一和洋輔、松田祐子、竹内一樹、岸本美香、白瀬英典、中野今日子、志村要、玉石まどか、有村弥希子、玉井晴章、南昌人
感動した。圧倒的な迫力に打ちのめされた。ヴェデキントが19世紀末に書いた戯曲が、ミュージカルというカタチでここまで活き活きと再生されるとは予想だにしていなかった。一昨年、トニー賞を受賞した光景を見て絶対に観たいと思い、ニューヨークにまで行こうかと思ったくらいだったのだ。ほんの1コーラスのみの紹介だったのだが、その弾け飛ぶようなパワフルなパッションに釘付けになってしまったのだ。授賞式では、映画「アマデウス」でモーツァルト役だったトム・ハルスが、巨漢のプロデューサーとして壇上に上がったことも強烈に印象的だったのだが、その時、この作品が日本で劇団四季が上演するとは夢にも思っていなかった。
思春期の男女が、世間の抑圧の中、もがき苦しみながらも活路を見出していくというストーリーは、これまで誰もが経験してきた思いであり、そこかしこに、皆が共感する普遍的な感情が散りばめられている。人は人を愛し、信じ合って生きていくのだということ。しかし、モチーフとなる出来事は、この現代でさえも決して古びることのない、いやタブー視されていることは時代を経ても案外変わっていないということなのだろうか、虐待、退学、自殺、同性愛、妊娠、矯正施設送りなど、かなりショッキングな出来事が若者たちそれぞれに襲い掛かってくる。
ブロードウェイ版そのままに修正も加えられていないのであろうが、日常生活の中に潜む衝撃的な出来事は、かなりリアルにストレートに描かれている。万人向けのエンタテイメント作品をロングランするイメージのあった劇団四季が、この作品をチョイスしたことも驚きであった。映画だったらPG12は確実なのではないか。しかし、この作品、劇団四季が上演してくれたことで、作品のオリジナルなスピリットが余すところなく表現されることになったのだと思う。
アンサンブルの演目なので、誰かが妙に異質に浮いていると作品全体のバランスが悪くなるのだが、さすが徹底した訓練の賜物なのであろう。出演者が作品の意図を忠実に掴んでいて変な自己表現などをせず、自分が演じる役というものを正確に観客に伝えていく技術に関してはかなり突出している。そういう意味では、上手い演技というものとは質の違うものかもしれない。しかし、歌も台詞もハッキリと明瞭に発音されるため、全ての声が届いてくる。でもこれ、基本中の基本ですよね。これが、スターを主軸としたプロデュース公演などであると、まずアンサンブルのバランスが崩れることになり、しかも変に自己主張する輩も出てくるので、見ていられないような状態になることもしばしばである。劇団四季が上演することで、オリジナルの質が保たれたのだと思う。
装置、照明、衣装、音響、振付もパーフェクトだ。ブロードウェイ版の写真を見ると、装置などは全く同じ様ですね。この装飾がかなり考え抜かれた結果なのだということが、物語が展開していくと共に分かってくる。壁に架かっている額装されたものがあるシーンで照明にフューチャーされたり、床の一部分が吊り下げられるとブランコ状態のようになり恋人たちの心情を表したり、壁に仕込まれたネオン管が激しく明滅したりなど、その時々の役柄の思いと全てが完璧にクロスオーバーしており、破綻がない。衣装デザインもオリジナルと一緒のようですね。技術陣の才能もそのままスライドさせて再現したところが素晴らしい。ほんと、変な主張がないところが潔くて気持ちいい。考え抜かれ、削ぎの削いだ結果なのでしょうからね。そこに何か付加する必要などありませんよね。
観終わった直後にもう1回観たいと思う演目は久しぶりだ。この演目、全国の中学生とかに観せるといいと思った。メタ認知じゃないが、自分の思いを相対化することで、自分の在り方とか課題に気付ける契機になるのではないかと思う。しかし、少々、強烈過ぎる内容だと思う親もいるのかな? そんな親もこの作品を観て、若かりし頃の思いを甦らせればいいのだ。気持ちはいつもニュートラルであるべきですもんね。
最近のコメント