東京芸術劇場 小ホール1
午後7時開演
作・演出:野田秀樹
出演:大竹しのぶ、渡辺いっけい、北村有起哉、野田秀樹
野田秀樹が同劇場に芸術監督として就任したのは、かつての盟友・高萩宏さんが副館長に就任されたことが要因なのでしょうね。かつて世田谷パブリックシアターに野田秀樹の演目が掛かったのも同様な経緯だと伺っておりました。やはり人とのつながりが大きい業界ですし、ちょっとメインストリームから外れた印象のあった東京芸術劇場を、これを機に盛り上げていって欲しいと思います!
野田秀樹が同劇場で本格的に手掛ける第1弾作品は、「ザ・ダイバー」。丁度1年程前に、シアタートラムでキャサリン・ハンター主演で上演された英国版公演の、日本バージョンだ。主演は、こちらもかつての盟友(?)大竹しのぶ。他に、渡辺いっけい、北村有起哉といった安定感ある実力派俳優が揃った。
実に面白かった。しかし何といっても特筆すべきは、大竹しのぶである。居並ぶ才能の中でもとりわけ強烈な異彩を放ち、めくるめくと言うしかないような、驚愕の演技の連続技で観客を惹き付け翻弄していく。感情表現が実に細かく、仔細に渡るまでが綿密に作り上げられているのだ。少人数の座組である。日々、ディスカッションやセッションを繰り返しながら、丁寧に感情を紡いでいったのであろうプロセスが見て取れる。
大竹しのぶ演じる女は、放火殺人の罪に問われている。相手は不倫相手一家だ。しかし、女には別の人格が憑依しているため、野田秀樹演じる精神科医が、彼女の精神の内面へと分け入り真実を露呈させる使命を帯びている。彼女は自分のことを、能の演目「葵の上」の六条御息所と同化させているのだが、その架空の人物との間を、自らの感情を行き来させる様が実にスリリングなのだ。大竹しのぶはこの現世の女を起点としながら、リアルな次元世界を軽々と凌駕し、あらゆる場面へと跋扈していく。この行き来するところが、英国版とはニュアンスを異にする。
英国版は、別次元へと女の感情が移行するのに合わせて、その女自身もその別次元で別人格として生きるという描き方であった。故に、あらゆる次元に女が存在し、その女を総合的に合わせことによって、女の普遍的な哀しみが浮き彫りになってくるという重層的な仕掛けになっていた。しかし日本版は、現世の女が別人格を内包しているという描き方であり、物語も同じだし、一見物語への斬り込み方は似たように見えるが、実は、全く違うアプローチを大竹しのぶとキャサリン・ハンターはしていることになる。物語を論理的に捉えることと、感情を軸に捉えることの度合いが逆転しているのだ。しかし、そのどちらもが面白いというのは、才能ある2大女優に依るところは大きいが、いくつもの解釈にもびくともしない構造を持つ戯曲の素晴らしさがあってこそだと思う。まさに才能のぶつかり合いである。
渡辺いっけい、北村有起哉、野田秀樹の才能が、また、物語を面白く加速させていく。それぞれ、偉丈夫、洒脱、緻密といった、全く異なるスタンスを立脚点に置きながらも、対峙する相手や場面によって、その対処方法がクルクルと変化していく様が実に面白い。
英国版は壮大な物語を観ているような印象であったのが、日本版は私小説を紐解いているような繊細さであった。田中傳佐衛門の囃子も、女の言葉にならない嗚咽のようにも感じ、隅々にまで、女の感情が伝播したセンシティブなテイストが心に沁み入るのだ。
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