劇評96 

切っ先鋭い洞察眼で繊細に感情を紐解いていく、まるでセラピーのような演劇。





「SISTERS」







 




2008年7月6日(日)晴れ
PARCO劇場 午後7時開演

作・演出:長塚圭史
出演:松たか子、鈴木杏、田中哲司、
中村まこと、梅沢昌代、吉田鋼太郎
 
 
場 : 5日・6日はプレヴュー公演であるのだが、既にロビーには贈られた花が飾られていた。初日にはもっと届くのでしょうね。パンフレット等、物販も普通に行われている。会場に入ると緞帳は下りている。
人 : ほぼ満席。意外に年配の方が多い。男性1人客も目立つ。松さんファン? それとも杏ちゃんファン? ご夫婦での来場も多い。何故? 女性客が圧倒的多数を占める場合が多い演劇公演であるが、通常とは異なる来場者層が本公演に足を運んだ理由を知りたくなった。


 会場アナウンスで携帯やら何やらの注意が流れ終えると、静かにピアノソロの音楽がかかり暗転していく。曲が終わると、暗闇の中、何かをゴシゴシとこする音が聞こえてくる。しばらくは暗闇のままなので、その音に耳を傾けることになる。明るくなると、梅沢昌代演じるホテルの従業員が壁をこすっている姿が見えてくる。「汚れが落ちない」と呟きながら、執拗に固執している。そこに松たか子演じる女がボストンバッグを手に現れ、このホテルの従業員を見て「気違い」だと囁き言い放つ。冒頭から不穏な空気が醸し出される。



  女はこの古びたホテルに旦那と共にやってきたことが分かる。旦那は東京に店を構える人気のオーナーシェフ。田中哲司が演じる。中村まこと演じるこのホテルのオーナーは従兄弟で、亡き奥さんの料理が評判だったレストランを再興したく、従兄弟のよしみでレシピを伝授してもらおうと画策したのだ。そうなのだ、奥さんは最近亡くなったばかりなのだ。しかも、自殺らしい。そしてこの夫婦。どうやら東京のレストランを改築中の今、ヨーロッパへ新婚旅行に出掛け帰ってきたばかり。言葉の端々から、旅行中、女の体調のせいなのか、うまく初夜が迎えられなかったと察せられる。




 松たか子が、新たな一面を見せてくれる。清々しく謳い上げる明晰な台詞術は封印され、絶えずイライラしていると言うのとは少し違うのだが、今の状況とか出来事とか言葉とか、何かがきっかけとなって、まるで、風船を小さな針で突くかのように、これまで抑えていた感情が暴発し感情をぶちまける負の感覚に身体ごと覆われていているのだ。現実に生きていながら、感情はどこかに置き忘れてしまったかのような浮遊感。コミュニケーションを自分の側から拒否し気持ちにシャッターを下ろしてしまっているのだが、ある瞬間、感情を直情的に吐き出す、その自閉的で主観的な閉じ篭もり方。新作であるし、話がどう展開していくのかをジッと見つめているわけだが、松たか子が、次の瞬間どういう言動に出るのかの予想がつかず、それが実にスリリングなのだ。



 話は吉田鋼太郎演じる児童小説家の父と、鈴木杏演じるその娘が介入してくることで、更に複雑な感情が渦巻いていくことになる。この父は亡くなった奥さんの兄。10年前からこのホテルに住んでいるようだ。この父と娘の秘密が、女の過去の瑕とリンクし、女は過去と現在、現実と幻想の世界を跋扈し始める。新婚旅行での出来事の理由が、うっすらとだんだん透けて見えてくる。





 物語もこの女に沿うように、だんだんと女の主観で展開されていく。時空は跳び女の妄想とも思える世界も繰り広げられていくが、作者は決して女を見捨てたりはしない。女の言動は、真実に則ったものであり、女はその欺瞞で塗り固められた嘘に憤っているだけなのだ。「気違い」なのは、周りの人々であり、その余波を受けて、女も混乱しているのだ。




  長塚圭史は、登場人物たちの感情を繊細に紡いでいく。スプラッターな脅かしも今回はない。松たか子を中心とした役者たちから、実に曖昧ではっきりしていない正と負が混在する感情を搾り出していく。その根拠のない分からなさが、生きていることそのものなのだ、と言わんばかりに、皆が幾重にも重ねられた真情を剥がし吐露していく。




  感動、とはまた違う種類の満足感がひたひたと襲ってくる。それは、自分でも封印していた感情のひだを再確認してしまったかのようなバツの悪さと、ああ、これが問題の原因だったんだと自覚出来た潔さが混じり合った、まるでセラピーを受けた後の安心感にも似ている気がした。夫が女にかける最後のひと言は、まさに、瀕死の状態から生還させるための「愛」のひと言に相違あるまい。女は生き還った、のだ。