劇評83 

三谷版顔見世興行が新劇場を笑いで包む。

「恐れを知らぬ川上音二郎一座」

2007年11月11日(日)雨
シアタークリエ 午後6時30分開演

作・演出:三谷幸喜
出演:ユースケ・サンタマリア、常盤貴子、
戸田恵子、堺雅人、堺正章、浅野和之、
今井朋彦、堀内敬子、阿南健治、小林隆、
瀬戸カトリーヌ、新納慎也、小原雅人
場 : 新劇場・シアタークリエである。
<エントランス>ギリシア悲劇の名言が壁面に掘られているらしいのだが、全く気付かずに地下の劇場へと降りる。
<ロビー>縦長のロビーはかなり狭い。150席程度のミニシアター並みである。
<会場内>どの席からでも観やすい感じ。中央と左右エリアの3つのエリアの間に2本だけ通路がある。上下の壁際にも通路があればなあ。休憩、終演時には、なかなか出られない状態になる。
<トイレ>男子トイレに列が出来る。まあ、大概は女性観客が大半なのであろうから、この演目は特別に男性比率が高いのであろう? 但し、トイレへと入る短い通路は、人が2人横切る幅がない。なんと人が行き来することが出来ないのだ!?
<終演後>通路がいっぱいなので、比較的空いていた劇場上部のドアから出るが、劇場内の狭い通路を迂回しながら5分位かかってやっと外に出ることが出来た。
人 : 満席。実にさまざまな客層である。年齢幅も広いし、男性比率が高い。半分以上を占めるのではないだろうか。この演目が広く注目を浴びていることが良く分かる。

 劇場内に入ると真新しい真紅の椅子が広がっている。やっぱり劇場って、赤い椅子だよね、とか思う。緞帳も新鮮。オレンジとグレーの太い縦縞が、定式幕を彷彿とさせるが、ラインの上部には、葉っぱらしいシルエットも描かれており、タイトルは「森の中へ」と言うらしい。芝居の世界へと誘われる感じが心地良い。1982年生まれの塚本智也氏の作品である。




 下手の緞帳前に用意されていた演壇に堺正章が登場して舞台は幕を開ける。まず、そこで拍手がおきる。そして、講談師のように川上音二郎のプロフィールを語っていく。緞帳が開いた舞台上では、映画館のスクリーンのように上下左右に黒幕を張った状態の中で、登場人物たちが無声映画の役者たちのようにコマ落としのようなセカセカしたテンポでことの次第を演じていく。川上音二郎が渡米するまでの経緯が一気に語られ物語は始まった。




 物語は、渡米した川上音二郎一座が、ボストンの劇場での初日を控えた前日から、その公演当日までを描いていく。舞台「ショー・マスト・ゴー・オン」や映画「ラヂオの時間」を彷彿とさせる、三谷幸喜得意の状況設定である。劇場という限定された空間の中で次から次へと事件が勃発する様に目が離せず、もう可笑しくて抱腹絶倒である!




 元芸術座という商業演劇(というジャンルも最近ではカテゴリーが判別としないが)の牙城のリニューアルの?落としとしては、絶好の素材ではなかったか。舞台と言えば歌舞伎という時代に風穴を空けた川上音二郎を取り上げたことに、三谷幸喜の意気込みが見てとれる。また、先駆者を主人公に取り上げながらも、演劇スタイルは誰もが楽しめるオーソドックスなシチュエーションコメディに仕立て上げたところも、場に相応しい、と思う。




 キャストは豪華な布陣である。三谷版顔見世興行といったところか。堺正章が見ものである。この達人の引出しが一体どこまで開陳されるのか、思わず釘付けになる。浅野和之が、劇団電劇時代を思い起こさせるようなクネクネとした仕草が、女形を演じる型として見てとれ面白い。戸田恵子は、もう稀代のコメディエンヌですね! 絶対にタイミングをハズしません! ユースケ・サンタマリアは、自分勝手な主人公を演じ、内にある弱さも見せてホロリとさせる。堺雅人の一途や、常盤貴子の華が、アンサンブルにアクセントを加えていきます。瀬戸カトリーヌの素っ頓狂なハーフが場をかき乱す様が、これまた可笑しい。




 観客は大笑い、大喜び。舞台上の出来事と、現実の舞台とがシンクロする企みもまた見事である。後半、2幕は、シアタークリエの観客たちは、ボストンで舞台を見つめる観客にもなっていくのだ。会場中がだんだんと一体化していくのが分かる。




 カーテンコールでは、観客総立ちになって、座長ユースケ・サンタマリア音頭による一本締めで幕を下ろした。ワクワクドキドキの3時間30分は息つく暇もなくあっと言う間に過ぎ、やんややんやの?落としは、大成功、であった。お祭り、ですね。