劇評65

繊細で幽玄なよしもとばななの世界を、見事に視覚化。

「哀しい予感」






2007年1月8日(月)晴れ
本多劇場 午後2時開演

原作:よしもとばなな
演出:塚本晋也
出演:市川実日子、加瀬亮、藤井かほり、
   奥村和史、松浦佐和子、一本木伸吾

場 : 会場に入ると一軒の家の居間が広がっている。原作を読んでいたので、ああ、主人公のおばさんの家なんだなと分かった。この後、回り舞台で場面は展開していくのだが、主人公の家族が引っ越した家の構造が、そのまま見ると変である。こんな作りの家はない。また、家の一部分だとしても全体をイメージすることが出来ない。
人 : 満席。結構、年配の人が多い。ひとり来場者も多いかな。何となくだが、絶対、下北沢にしかいない匂いを発するフリーランスっぽい団塊の世代の方々が、やはり何故か何人かは居たので、ちょっと面白かった。

 よしもとばななの世界を、直球でシンプルに表現していて、非常に好感が持てる作品であった。演出が塚本監督なので、どんな外連味を盛り込んでくるのかなという先入観はあったのだが、そういう思いはあっさりすかされ、登場人物の思いや行動、そして心象風景など人間の気持ちの部分を深く見つめることに徹し、静謐な美しさが立ち現れていた。




 とは言え、主人公のおばさんの家の美術などに見られる、ビジュアル面での細部のこだわりは、やはり演出の意図したところであるだろうし、演劇畑のスタッフとは違うこだわりを見せている。そのおばさんは乱雑なところがある設定であり、とにかくモノが多い部屋なのだが、そこに置いてあるモノやその置き方などに独特の美学があり、汚いといえば汚いのだが、そこに人が佇むと、一篇の絵になってしまうのだ。舞台全体を捉えながらも、映像的な視点も共存しているという、塚本監督ならではの感覚ではないだろうか。また、美術担当の佐々木尚が映画で活躍されている方であるというのも、監督の思いと共振した要因になっているのであろう。しかし、主人公家族が引っ越した新居の美術だけは良く分からない。この家の構造が分からない。また、家の一部分を表現しているのだとしても、その全体の構造がイメージ出来ない。シュールな表現にもなっている訳でもない。惜しい、と思う。




 細部へのこだわりは音にも現れる。懐かしや、あの、飴屋法水がサウンドデザインを担当している。気が付くと何かしらの音が流れている。よしもとばななの世界を生きる登場人物たちを繋げる通低音にも感じられる。自然音がゆるやかにメロディを紡ぎ出し、大きな転換の時はしっとりとした迫力ある女性ボーカルが響き渡るなど、緩急自在に音を操っていく。劇中の台詞きっかけで音が流れる場合も多く、やはり場面の切り取り方の細かさは映画的とも言える。その繊細さは、新鮮であった。




 衣装の安野ともこのスタイリングも、日常的であるがとても美しい。舞台衣装ではないということが、この幽玄な作品にリアリティを与えている。裾に皺を施したコート、着込んだ感じのダウンジャケット、寝巻きのジャージ、但し、おばさんが着る衣装だけは、フワフワとしていてつかみどころが無い感じ。やはり、映画や広告など、映像メディアの方ならではのこだわりが感じられる。まあ、動き回るわけではないので、通気性とか軽さとか伸縮性とかは、今回の場合は関係なくプラン出来たのでしょうね。




 市川実日子がいい。ばなな作品の主人公としては、映画「つぐみ」の牧瀬里穂以来の衝撃だ。圧倒的な美しさが、逆に人間の脆さやせつなさを浮き彫りにしていく。淡々とはしているのだが、溢れる感情がひしひしと伝わってくる。売れっ子・加瀬亮の存在感も圧倒的だ。自分の思いのたけを、嗚咽を耐えながら市川実日子演じる弥生に伝えるシーンなどは、その感情の高まりに思わずこちらの気持ちもシンクロしてしまう程だ。また、演じる集中力の高さにも唖然とさせられた。瞬間に感情をコントロール出来る技術は天晴れだ。藤井かほりは、しっとりとした雰囲気を漂わせ不思議な魅力あるおばさんを好演し、初見だが、奥村和史の明晰なストレートさも印象に残った。




 前へ前へと表現していく演劇とは手法を異にし、透明感ある深いスピリットが作品全体を覆う、とても控え目で繊細な表現が、この物語を伝える方法としては一番ピッタリとはまったのではないだろうか。また、細部に渡るスタッフワークの緻密さも、作品に大きな力を与えていたと思う。異分野からの才能は、真摯に演劇と取り組み、新たな発見をさせてくれた。次なる塚本演出の舞台が待ち遠しい。