劇評47 

役者が途中段階だが、スタッフのアートワークは絶品。



「メアリー・ステュアート」




2005年11月6日(日)晴れ
PARCO劇場 午後2時開演

作:ダーチャ・マライーニ
演出:宮本亜門 美術:レイチェル・ホーク 
衣装:岩谷俊和 音楽:産毛 照明:中川隆一
出演:原田美枝子、南果歩
場 : チケットをもぎりロビーに入ると、「産毛」の心臓の鼓動とシンクロするような音が流れている。16世紀の女王の話を観に来て、DJノリのテンポの音楽に意表を突かれるが、ついつい期待感は高まっていく。
人 : ほぼ満席。女性が多い。ひとりでの来場者も多い。チケット購入後決まったようなのだが、この回終了後、原田美枝子、南果歩、宮本亜門のトークショーがあるようだ。それ、目当ての観客もいるのでしょう。

 まさに、女優2人のガチンコ勝負である。2時間2人っきり。女優のスキルはおろか、生き方まで問われるというか、裸にされるというか、役者にとっては挑み甲斐はあるが、反面、恐ろしいホンであると思う。さて、今回の2人の女優はどうかというと、幕が開いて4日目4回目の公演ということもあってか、自分の役をこなすのに精一杯である段階のような気がした。観客として十分満足はしたのだが、もっと凄いステージに持っていける可能性を感じてしまったのだ。




 メアリー・ステュアートとその乳母、エリザベス1世とその侍女の4人を、2人の女優がクルクルと場面を転換させながら演じていく。クルッと振り返るともう違う場面というシチュエーションは、野田秀樹芝居などで、観客としては多少馴染みはあるのだが、演じる方は大変だろう。しかも、2人しかいないのだから。更に、宮本演出は、細かな動きや佇まい方、指先に至るまでの繊細な所作を要求していく。




 いささか南果歩の方が余裕があるように見える。原田美枝子は、まだ、多少、手探りな状態な印象を受ける。声のかすれや何度か台詞に詰まったりしたことが、そういう印象を抱く要因になったのかもしれないが。なので、もう少し、こなれてくるとお互いの感情が直にもっとほつれ合い、そんな絡まり方が、複雑な構成の本作をより深淵な心の迷宮へと導いていってくれる気がするからだ。




 レイチェル・ホークのアシンメトリーの美術が面白い。下手はシルバーの壁が設えてある。そのシルバーの上に、人とも見えるし血痕とも見える赤い太い線描が殴り書きされている。
このシルバーは光線の加減で、ゴールドにも見えたりと変幻自在な空間を作り出すことに大いに寄与している。上手はレンガの壁。下手奥に細いモノリスのような柱。上手手前にはしっかりとした宮殿にあるかのような太い柱が据えられている。上手エリアがエリザベス1世、下手エリアがメアリー・ステュアートのエリアとして大体位置付けられている。




 美術に呼応してか、照明も素晴らしい成果を上げている。あらゆる角度から照明を当て、それは2人の心情を浮き彫りにすることもあれば、女優の上半身だけを切り取るようなスクエアな明かりを当て劇画のコマのようなピックアップのさせ方をしたり、シルバーの壁に十字の模様を作ったりして、縦横無尽である。




 衣装も素晴らしい。デザイナーの個性が戯曲の世界と上手く重なり、ドレスのフォルムは彷彿とさせながらも、素材は毛糸であったりヒラヒラとはためく薄い布であったりと観る者の想像力を掻き立てるアートとして成立していた。




 そして、産毛の音楽である。効果音的な音源も含めて、今、2005年という時代性を端的に音によって刻印することが出来のではないか。




 お膳立ては完璧だ。あとは、役者がどこまで行けるか、である。貴方が観る時は、凄いことになっているかもしれませんよ。