劇評43 

人が生きているということ、そのものを描いた傑作アート。

「ネフェス」

 

2005年6月12日(日)晴れ 新宿文化センター大ホール 午後2時開演
制作・演出・振付:ピナ・バウシュ 出演:ウッパタール舞踊団
場 : ステージ床は使い込まれて少し褪せた感じの黒のフローリングのシンプルなセット。演出効果で、ステージ床から自然に湧き出た水が舞台中央に小さな池を作る。
人 : ほぼ満席。年代は様々。お洒落な感じの人が多い。楠田枝里子さんの姿も! カーテンコールでは、率先してスタンディングオベーションをされていた。

 イスタンブールをテーマに作り上げられた本作「ネフェス」は、そのタイトルの意味が“呼気”とあるように、人を含めた自然界の全てのものの一呼吸一呼吸に神が宿るかのような、繊細さと強さを併せ持った身体表現にて、ピナ・バウシュ独自の世界観を繰り広げていく。




 人間そのもののような作品である。愛があり、恋があり、社会があり、駆け引きがあり、そして時に、語り、遊び、笑い始める。まさに、喜怒哀楽の感情がそこかしこで迸るのだ。また、物語性を排除しストーリーの制約を一切受けないことが、よりストレートに情感を伝えることとなった。観客は物語を追わず、ダンサーの動きを追っていくのだ。そこで起こる出来事に、一喜一憂していれば良いのだ。ステージに完全に身を任せている状態である。




 ボスポラス海峡などからインスパイアされたか、今作は水が大きなファクターとなっている。床から湧き出た水で舞台中央に池が出来たりする。その脇にシートを敷いて座るカップル。あるいは、その水溜りにジャブジャブと入り踊る人々。また、ある時には、天より滝のように水が降り落ちてきてその水に打たれながら踊るソロダンサー。またあるシーンでは舞台脇に束ねてあったカーテンを中央に引っ張ってきてスクリーンのように設えると、海の水面を舐めるように走り映していくダイナミックな映像が流れ、人々はその前でパーティーに興じているといった具合だ。自然と共生する人間の姿はなんて優しく、そして、まさしく、自然、なのだろうと感じさせてくれる。




 但し、スタンブールは自然ばかりではない! 先程のスクリーンには、街中の道路の中央に備えつけられたであろうカメラが、交互に行き交う無数の車を映し出し、その前でダンサーが右往左往して翻弄されたりもする。深刻ではなく滑稽な演出で観客に微笑みを与えてくれる。文明批判をする気などサラサラなく、そこにあるものとして、全てのものが捉えられていく。





 ハマムでのシーン。石鹸水に浸した布を吹くと出る細かな泡で、男たちの身体が洗われる。
女たちはうつ伏せに寝転んだ男たちの上に立ち、それぞれが長い髪を梳かし始める。マリオン・スィートーの美しいフォルムの衣装が微かに揺れ、官能、が立ち昇る。舞台前面で丁寧に爪の手入れをする女。池の脇で楽しそうに蜂蜜を舐める2人の女。頭の上に長い棒を載せその両脇に水の入ったビニール袋でバランスをとって歩く女が、男2人に足を持たれ宙に上げられて少しずつ階段を昇るかのような仕草をしていく。数限りなくある珠玉のシーンたちが折り重なってひとつの作品へと昇華していくというこの強靭さ。




 フィナーレのポロネーズも圧巻だ。下手手前より男たちが腰を床につけたままひとりひとり現れ、這うように少しずつ上手へと動いていく。それと呼応するかのように、下手奥から女たちもひとりひとり現れ、同じく床に腰をつけまま魚のような可愛らしい手の動き見せながら、下手へと移動していく。中央には水が満々とたたえられている。人類発生にまで遡る記憶をも髣髴とさせ、生きているということ、そのものを、表現している気がする。




 カーテンコールが待ちどおしい。微笑みを浮かべたピナに会えるからだ。どうやら、完全にピナに恋をしてしまっているようなのだ!