劇評367 

藤原竜也が更にイイ役者に進化していると感じることが出来た本作に大満足。

 
 
「プラトーノフ」

2019年2月9日(土) 少し雪
東京芸術劇場プレイハウス 17時30分開演

作:アントン・チェーホフ
脚色:デイヴィッド・ヘア
翻訳:目黒条
演出:森新太郎

出演:藤原竜也、高岡早紀、比嘉愛未、
前田亜季、中別府葵、近藤公園、
尾関陸、小林正寛、佐藤誓、石田圭祐、
浅利陽介、神保悟志、西岡徳馬 他

場 : 雪が散らつく天候ですが、池袋駅から地下で直結する東京芸術劇場へは傘をささずに向かえるので便利です。劇場ロビーに入ると、物販コーナーに長蛇の列が出来ています。

人 : ほぼ満席です。お客さんは男女半々位の割合でしょうか。演劇は比較的女性客が多い傾向にありますが、男性客比率が高い演目は珍しい。何故なんだろう。

 チェーホフの同戯曲が演じられる演目を鑑賞するのは初めてである。上演すると9時間はかかると思われるという長尺な原本を、劇作家デイヴィッド・ヘアが脚色した戯曲が本作の上演台本となる。敢えて無の状態で、劇場に向かうことになる。

 チェーホフの原本に関しては接する機会はなかったのだが、デイヴィッド・ヘア版の「プラトーノフ」は、喜怒哀楽、悲喜劇など、あらゆる要素を原本から抽出し、シリアスに寄せ過ぎることなく、人間が格好悪い様を晒しながらも精一杯生き抜いていく苦渋が何とも可笑しく表現されている。

 19世紀末、ロシア将軍の未亡人宅を中心に集う人々は、労働をして稼がなければ喰えないという領域からは少々逸脱しており、概して暇を持て余している風な人々が多いと思う。自己を中心に世界は回っており、他人を気遣う繊細さは一先ず脇に置いている様な人の比率が高い。だから、面白い。皆、自らの思いを吐露していくのだが、そこに忖度は一切ない。故に、このストレートな感情表現は、観る者のストレスをも発散させてくれる効果を発してくれることにもなる。

 タイトルロールであるプラトーノフを演じるのは、藤原竜也である。本作は、様々な屈強な猛者がキャスティングされているのだが、藤原竜也はそんなベテランたちが演じる役柄に大いに翻弄される家庭教師役を担いながらも、ステージ上の者はもちろん、観客を含む劇場中の人々全てを逆手に取り、翻弄しまくり圧巻だ。

 まさに、藤原竜也、オン・ステージである。

 毎日同じ人々と顔を合わせ、語らう日々において、インテリジェンスがあり色男のプラトーノフは、特に女性たちの好奇の的になっている。プラトーノフはそんな状態に贖うことなく甘受し、いや、果敢に行動しまくっていく。当然、男女の間に諍いごとが勃発していく。しかし、どんなに追い詰められようとも、プラトーノフを始めとするどの登場人物たちも怯むことなく、感情を暴発させていく。

 自らが蒔いた種で苦境に立たされるプラトーノフであるが、その惨めなザマで右往左往する藤原竜也の姿を見た共演者の皆も、笑いを堪えるのに必死なのが見て取れるのだ。決して笑ってはいけないシーンなのではあるのだが、あまりな悲惨さ振りが面白過ぎるのだ。

 高岡早紀の艶やかさ、西岡徳馬のドッシリとした存在感、比嘉愛未の見た目の可憐さとは裏腹な本音の染み出させ方、前田亜季の腹の座ったプラトーノフの女房振りなど、ステージのパレットには様々な彩色が混じり合い、そうすると、想像していたものとは違った色彩へとどんどんと変化させる光景を現出させる、手綱捌きも見事な演出の森新太郎にも乾杯をしたいと思う。

 藤原竜也が更にイイ役者に進化していると感じることが出来た本作の再演を、是非、希望したいと思います。100年前の戯曲をこんなにも活き活きと現代に甦らせることが出来るのは、ホント、素晴らしいと思いました。


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