劇評363 

シェイクスピア劇上演の概念を覆す娯楽作品として大いに楽しめた。

 
 
「ロミオとジュリエット」

22018年12月2日(日)晴れ
本多劇場 14時開演

演出:宮藤官九郎
作:W・シェイクスピア
翻訳:松岡和子

出演:三宅弘城、森川葵、勝地涼、
皆川猿時、小柳友、阿部力、今野浩喜、
よーかいくん、篠原悠伸、安藤玉恵、
池津祥子、大堀こういち、田口トモロヲ

場 : 久々に本多劇場に来場しました。ロビーにチラシが一杯置かれているこの賑々しい雰囲気、大好きです。終演後、ロビーに於いてプチ・サプライズがあります。微笑ましい光景でした。

人 : 満席です。20歳代の若者からシニアまで、様々な層の方々が来場しています。皆さん、少々前のめりな感じで、舞台が開幕するのを楽しみにしている様です。

 宮藤官九郎がシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を手掛けるという点において興味津々。「マクベス」を換骨奪胎した「メタルマクベス」の記憶も新しいが、「ロミオとジュリエット」をどのように料理するのか嬉々として劇場へと向かうことになった。

 キャストにも宮藤官九郎ならではの目利きが効き、期待値が更に高まっていく。ロミオにキャスティングされたのは何と三宅弘城。いわゆる二枚目俳優が担うことが多いロミオであるが、従来のイメージを覆してくれるのが何とも楽しい。ジュリエットは初舞台の森川葵。ここにはフレッシュな印象の新進女優が配されることになった。

 物語がスタートすると、原典である「ロミオとジュリエット」のテキストを基本的には遵守する展開に少々驚いてしまった。宮藤官九郎は、松岡和子翻訳の台本をほぼ忠実に再現していく。「メタルマクベス」のアグレッシブな創作の残像が少しづつ取り払われていく。

 但し、従来のクドカン演劇と同様に、俳優陣の弾けっ振りは健在だ。皆が、自分の出番を最大の見せ場としてパフォーマンスしていくため、登場人物全員の個性が真正面からごつごつとぶつかり合う、その化学反応が何とも可笑しい。振り切った演技合戦に思わず笑いが零れていく。

 また、状況を分かりやすく伝えてくれる演出の術が、作品の戯画化をさらに爆裂させることになる。例えば、モンタギューの者が「モンタギュー!」と、キャピレットの者が「キャピレット!」と一声を発していくなど、一見分かり難い人物関係がパッと明示されるため、作品世界にグッと入っていきやすくなる。また、それがふざけた感じの効果を発していくことももちろん計算済みの演出なのであろうが、違和感なく笑いへと転化させていく役者陣の底知れぬパワーを浴びるのが、また快感なのだ。

 あれ、こんなシーン「ロミオとジュリエット」にあったのだろうかという場面にも出くわすことになる。結婚式に訪れる楽士のシーンだ。このくだりはカットされてしまうケースが多かったのではないだろうか。結婚式に呼ばれて来たと思ったら、そこは葬式になっていたという何ともアイロニカルな局面。ロミオとジュリエットが凄まじい勢いで駆け抜けた残滓として、この置いてきぼり感が切ない笑いを生むことにもなる。

 観進めていく内に、三宅弘城のロミオはありだなと感じ入ることになる。ジュリエットに対する強烈な思いはぶれることなく、恋する男のいじらしさについつい共鳴してしまう。自らは果たすことが出来ない悲恋の悲劇を、憧憬とはまた違った親近感ある存在感で自分と身近な出来事のように感じさせてくれるのだ。三宅弘城がロミオにキャスティングされることで、従来の「ロミオとジュリエット」像の既成概念が打ち破られたと言えるのではないだろうか。

 マキューシオの勝地涼、ティボルトの皆川猿時、大公の今野浩喜の、最大限にバロメーターを振り切ったかのようなパワー全開の弾けっぷりが面白すぎる。また、ベンヴォーリオの小柳友、パリスの阿部力のイケメンもそのパワーの渦に上手く巻き込まれ、連帯感あるスクラムを組んでいる。

 森川葵の清楚さ、安藤玉恵のコケティッシュなコメディエンヌ振り、田口トモロヲの安定感あるキレ具合の他、よーかいくん、篠原悠伸、安藤玉恵、池津祥子、大堀こういちなどの強烈な演者の個性も相まって、多様な側面から演技が楽しめるエンタテイメントとして成立している。

 従来のシェイクスピア演劇上演の概念を覆す、観客を楽しませることに徹した娯楽作品として大いに楽しめた。自作以外の作品を手掛けることで、更なる才能の片鱗を開陳した宮藤官九郎の次回演劇公演にも大いに期待したい。


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