劇評32 

更なる緊密さと日本人が演じる意義を感じさせて欲しい、不条理台詞劇。

「TAPE」





2004年12月11日(土)晴れ
東京グローブ座 18時開演

作:スティーヴン・ベルバー
演出:アリ・エデルソン
出演:佐藤アツヒロ、小池栄子、赤坂晃

場 : 張り出したオープンステージは、モーテルの一室という設定。シングルベット2つに簡易応接セット。正面の高い壁はハーフミラー。モーテルの看板が透けて見える。上下脇にも観客が入り、役者は3方からの視線にさらされることとなる。下手側にドア。上手側はバスルームに通じ洗面台や便器がやはり透けて見える。近くに座っていた中学生位のコが「幕はないの?」と話していた。
人 : 満席。9割が10代から20代前半の女の子。熱い視線で舞台を見つめている。本公演はグラビアアイドル・小池栄子も出演しているが、男性ファンらしき人は殆ど見当たらない。何故、男性ファンは演劇に足を運ばないのであろうか?

 まずは、正面に映像が流される。大学卒業時に撮ったと思われるパーティーでのシーンだ。フォーカスがズレたり、対象物が曖昧だったりする映像が奇妙な世界観を形成し、酩酊感あるクールな雰囲気を醸し出す。映像が終わると、パチンと切り替わるように、明滅するライトと大音響の曲がステージを支配しロックコンサートを彷彿とさせる中、佐藤アツヒロがベッドの上に乗り飛び跳ねるオープニングは、シンプルで格好良い幕開きだ。


 部屋にかつての友人が訪れる。ノックを聞いた佐藤アツヒロ演じるヴィセントは履いていたジーパンを脱いでシャツとトランクス姿になり、ビール缶を部屋に放り投げ荒れた状態で、赤坂晃演じるジョンを迎える。微妙な嘘。演じるということの虚構性。さながら「羅生門」のような嘘と真実の曖昧な境界線を辿る本作のテーマの布石をそこかしこに散らばし始めた。



 かつて大学時代に起こった「あること」を巡って、登場人物3人が逡巡する様は、一筋縄ではいかない次の展開が予測出来ない面白さを詰め込んで、観客を飽きさせることがない。


 但し、全体的に緊迫感が希薄である。台詞をなぞっている域に留まっている気がする。追い詰め追い詰められるというギリギリの状態の苦しさや驚きが伝わってこない。台詞の丁々発止のみで展開するため、役者に対する負荷が大きくのしかかってくる芝居なのではあるが、今回は3人芝居でありながら微妙に相違する3人の役者の質の違いが、どこか微妙に行き違ってしまうのが、緊張感を削ぐ理由なのであろうか。


 佐藤アツヒロは、いろいろなジャンルの舞台で鍛えた経験が心強く、奔放で元気な溌剌さが魅力の自由形。赤坂晃は、スタイリッシュな仕種が染み付いたミュージカル的身のこなしに長けたミュージカル形。奔放にぶつかる佐藤アツヒロを受ける赤坂晃のスタイリッシュ。状況は言い合っているのだが、どうしても台詞がバトルしないのだ。小池栄子は何色にも染まっていないのがカラーであり、その演技も素直さが前面に出た。演じるエイミーのように3人のパワーバランスを完全に把握し支配し切るまでには至らないが、3人の中で一番、「旬」を感じさせるパワーを放熱していた。

 「OK!」という台詞が気になって気になってしょうがなかった。3人共、外国人風に聞こえてしまい、非常に違和感を増幅させるものがあった。


 明滅するMOTELの電飾は途中で「T」の字を失うが、3人も何かを突き止めているようでありながら、何かを失っていくというような喪失感に苛まれていく。果たして真実は何なのであるのか。証拠としてTAPEに録音されていることには意味があるのであろうか。全ては観客の解釈に委ねられていく。


 レイプ、ドラッグなどのモチーフが織り込まれた不条理劇を、ジャニーズファンをコアターゲットとした演目として取り上げたということは、かなりのチャレンジであると思う。でも、カーテンコールで心なしか拍手に勢いが無かったのは、皆んな、良く分からなかったんじゃあないのかな、などと思ってしまった。