劇評320 

芸事を創り上げる苦悩の魂と膠着した現在の未来を
憂う思いとをクロスさせた、一筋縄では括れぬ警鐘を孕む秀作。

 
 
「足跡姫 〜時代錯誤冬幽霊〜」

2017年1月21日(土) 晴れ
東京芸術劇場プレイハウス 19時開演

作・演出:野田秀樹

出演:宮沢りえ、妻夫木聡、古田新太、
佐藤隆太、鈴木杏、池谷のぶえ、
中村扇雀、野田秀樹 他

場 : 東京芸術劇場プレイハウスは、ロビーが広くて開放感がありますね。パンフが1000円なのですが、かなり充実していてお得感があります。パンフのスタッフ欄を見ていたら、アートディレクションとして佐野研二郎氏の名前がクレジットされていました。

人 : 満席です。しかし、全公演、当日券が出ているようです。お客さんは、お若い方から年配の方まで、実に様々な方々が集っています。

 本作が野田秀樹が中村勘三郎にオマージュを捧げたという触れ込みは、観る前から漏れ聞こえていたため、さて、一体どのような展開になるのかと期待感は高まっていた。三、四代目出雲阿国と、その弟という設定の寂しがり屋サルワカが物語を牽引していくのだが、歌舞伎のルーツである出雲阿国を中心に据えた設定が面白い。

 中村勘三郎本人を追悼するという狭小な眼差しではなく、芸事に身を投じる人間を描くことを通して、人生を駆け抜けた一人の歌舞伎役者の姿を浮き彫りにさせていく。どストライクな直球が投じられるとは思ってはいなかったが、どう物語が展開していくのか、その行方が掴めないのが実にスリリングである。

 三、四代目出雲阿国は宮沢りえが演じていく。中村勘三郎とも親交があったと言われている宮沢りえが出演していること自体が、追悼の一環なのだと感じ入る。歌舞伎というものが辿ってきた様々な変転を、その原点から現代にまで一気に結ぶ役割を担い、観る者を完膚なきまでに打ちのめしていく。

 しかし、物語は芸事だけに終始する訳ではない。時の体制の転覆を図る一味が地の底から這い出てくるのだ。野田秀樹の筆致は感傷的に中村勘三郎を描くことだけに集中するのではなく、芸が政と抵触する横軸を織り込み刺激的だ。

 作品には、戯作者の存在も、しかと刻印されていく。妻夫木聡が担う三、四代目出雲阿国の弟サルワカは、姉のために台本を創作する。しかし、その物語を創り上げていく過程で、古田新太演じる売れない幽霊小説家が指南する光景が描かれていく。この幽霊小説家であるが、冒頭、死体として現れる。そして、その死体を解剖する目的で購入する腑分けものを、野田秀樹が演じていく。

 妻夫木聡は次元を行き来しながらも現実世界をしかと生き抜き、作品を生み出す者を嬉々として担い生命力を放出していく。此岸彼岸を巡りながら、今を生きる人に智慧を提供していく古田新太に有り様は、同カンパニーにおける本人の在り方と共通するものがあるのではないだろうか。ある種の大黒柱だ。サルワカが受ける黄泉の国から指南を受けるという設定は、野田秀樹と中村勘三郎との関係性を彷彿とさせられる。

 生死の境を行き来する幽霊小説家を解剖しようとする役どころを、野田秀樹自らが担うという捻じれ具合が面白い。野田秀樹は、作品全体をサポートするようなポジションから、創作することの苦悩と愉楽を導き出していく。

 中村扇雀が伊達の十役人という役どころで、シーンごとに全く異なる役人として登場するのがご愛嬌だ。熟練の歌舞伎役者が、どの場面にも現れることで場がキリリと引き締まる。

 大儀を掲げる佐藤隆太の戯けものの存在は、キナ臭い香り漂う今の世の中に対し野田秀樹が仕掛けた発破なのかもしれない。閉塞感ある社会に風穴を空けようとする雄姿は、これからの行く末を占う分水嶺のようでもある。

 鈴木杏の踊り子ヤワハダは、三、四代目出雲阿国の妹分だ。タナトスが通底音で流れる作品の中において、溌剌とした若さが女の生々しいエロスを発散し体温を感じさせてくれ心和む。万歳三唱大夫を演じる池谷のぶえの豪快で気風のいい女っぷりは、三、四代目出雲阿国の複雑な在り方とクッキリと対比される存在感でインパクト大だ。

 芸事を創り上げる苦悩の魂を掘り下げながら、膠着した現在の未来を憂う思いをクロスさせた一筋縄では括れない警鐘を孕んだ秀作として、語り継がれることになるに相違ないと感じた逸品であった。


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