劇評301 

人間の滑稽さを笑い飛ばしながら描く、俳優の魅力を堪能出来る傑作。

 
 
「8月の家族たち

2016年5月7日(土) 晴れ
シアターコクーン 18時30分開演

作:トレイシー・レッツ
翻訳:目黒条
上演台本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

出演:麻実れい、秋山菜津子、
常盤貴子、音月桂、橋本さとし、
犬山イヌコ、羽鳥名美子、中村靖日、
藤田秀世、小野花梨、村井國夫、
木場勝己、生瀬勝久

場 : 初日です。所々で名刺交換をしている方々の姿を見掛けます。劇場内に入ると、既に舞台上に二階建ての一軒家のセットが組まれているのが見えます。ケラの審美眼が行き届いた、細かな箇所も精緻に造り上げられた隙のなさが心地よい空間です。

人 : 満員御礼です。若干、立ち見の方がいらっしゃいます。開演直前に、ケラ氏がメモを手に客席に着く姿が見受けられます。観劇中は、トレードマークの帽子は取っていらっしゃいました。

 同作に関しては映画版を既に見ていたため、粗筋はあらかじめ分かっている状態で作品と対峙することになった訳であるが、いやぁ、舞台から目を離す隙間もない程、作品に前のめりで没頭してしまうことになった。

 舞台はアメリカのオクラホマ州にある片田舎の大きな家。季節は8月。その家の主人が家政婦と会話を交わす静かなシーンから物語は始まる。主人を村井国男が演じるが、どうやら病を患う妻のためにアーリー・アメリカンの家政婦を雇ったのであろう経緯が分かってくる。穏やかではあるが、妻に対し沸々とした複雑な心情を内包する男を静かに演じきる。そして、次のシーンで、その主人が失踪したことが露見する。不在となった主人を巡る、その家族たちの物語が展開していくことになる。

 どの俳優が出演するのかは、勿論、あらかじめ知ってはいた。この錚々たる面々が同じ舞台の上に居並ぶ奇跡の様な瞬間に出会えることに大いなる期待を抱いていた。そして、その期待が徐々に叶っていく光景を目の当たりにすることになる。同作の一番の魅力的な要因は、このキャスティングにあると言っても過言ではない。

 夫に失踪された病を患う薬依存症の恐妻を演じる麻美れいが、居並ぶ実力派俳優陣のセンターに聳立し、ブラックホールの様に強大な求心力を誇っていく。この強烈な母に育てられた娘は3人。長女は、離婚したことをまだ公表していない元夫と娘とを連れてやってくる。長女を秋山菜津子、夫を生瀬勝久が演じる。長女は母の遺伝子を多く継承しているのか、思ったことをストレートに吐き出す性格が噴出し、孟母と真っ向から対峙する。

 薬に依って酩酊した呂律が回らない状態から、歯に衣着せぬ暴言を吐き続ける瞬間など、麻美れいが演じる母は、作品に強烈な存在感を刻印していく。不安定な精神状態でありながらも、決して自己を曲げずに主張しまくる不屈な母を、説得力を持って演じていく。ここまで誰にも迎合しない人物を、爽快に魅せる愛らしさが何とも魅力的なのだ。

 その母の遺伝子をしかと受け継いだ長女を演じる秋山菜津子と母は、度々強烈な衝突を繰り返す。相手に対する不満をストレートにぶつけあう様は深刻さを通り越し、可笑しささえ生まれてくる。他人の諍い事を客観的に見ると、何とバカバカしく滑稽なのだろう。観ているうちに、どんどんとストレスが解消していくような爽快ささえ感じられて面白い。若い学生と浮気をした大学教授の夫を演じる生瀬勝久とのやり取りでは、元夫が一歩引き気味に元妻と応酬し合うその微妙な力関係の差異が、また異種の可笑し味を生んでいく。間合いやテンポが実に絶妙なのだ。

 実家の近隣に住み母の面倒をサポートしている次女は、物静かに見える佇まいの裏で、密かに潜行している親交をひた隠しにしている。演じるは常盤貴子。生真面目な性向を強調し、騒がしい家族の中のオアシスの様な存在にも見える。三女を演じる音月桂は、奔放に育った末っ子の可愛さの奥底に潜む、幸福を希求する枯渇感を複合的に捉え、役柄にふくよかなニュアンスを付与していく。何やら怪しげな三女の許嫁を、あか抜けない気障ったらしさを振り撒きながら演じる橋本さとしは、作品に如何わしいアクセントを着け加える。

 母の妹とその夫を、犬山イヌコと木場勝己が演じる。姉と同様、思ったことを、即、口にしてしまう妹を犬山イヌコの軽妙さが笑いを誘い、そんな妻の良し悪しを冷静に捉えながらも、言うべきことははっきりと言い放つ懐のデカい壮年男を木場勝己が体現し、何とも格好良い。

 中村靖日が、ひ弱さと強靭さを合わせ持つ繊細な青年を好演し、藤田秀世の朴訥とした存在感が安心感を醸し出す。小野花梨の瑞々しさのホット息つける優しさに心和み、羽鳥名美子の柔らかな正義感の表現が、モラルの瓦解を堰き止める役割を果たしている。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチが台詞に隅々にまで目を配り、居並ぶ実力派俳優陣の個性を上手く役柄に載せていく手腕に脱帽だ。戯曲の中に渦巻く人間の感情を掬い出し、ピンセットで配するが如く絶妙な間合いを生み出し笑いへと転化させていく。ダイニングに集い舌戦を繰り広げる様を、テーブルの床をゆっくりと回転させながら台詞劇をダナミックに魅せる演出も心憎い。人間の滑稽さを笑い飛ばしながら描く、俳優の魅力を堪能出来る傑作だと思う。


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