「ペール・ギュント」のイメージを勝手に膨らませて来場したのだが、緞帳が取り払われたステージ上に広がる光景は、廃墟となった朽ち果てた倉庫である。主人公「ペール・ギュント」が世界各国を遍歴する壮大な物語の舞台が倉庫であることに、少し驚きつつも、では、一体どんな展開を示していくのかという期待感が高まっていく。
☆
開演時間になると、様々な装いに身を包んだ人々が、其処此処から現れてくる。皆、何かに疲れているかのような、気だるい雰囲気を漂わせている。と、ある瞬間、天空よりヘリコプターの轟音が鳴り響き、外の世界で爆発音などが発せられていく。集う人々は、心配そうに窓から外を窺っていく。
☆
どうやら、舞台は難民たちのシェルターという設定なのだということが分かってくる。構成・演出の白井晃と、翻訳・上演台本の谷賢一が仕掛けたこの状態が、イプセンが描いた物語を、グッと現代世界に近寄せる効果を生み出していく。
☆
難民の中の一人の女性が子どもを出産し、その赤子が保育器に中に入れられている。その前に、スクっと青年が立ち上がる。「ペール・ギュント」役の、内博貴である。母役は、前田美波里。本作は、難民キャンプに生まれた赤ん坊が「ペール・ギュント」が世界を放浪する物語を想い描いていくというコンセプトを貫いていく。
☆
ペールは色々な国を訪れ、その地で様々な商売を始めることになる。場所を変えるごとに、全く異なる世界が展開する様は、まさにRPGだ。しかし、創り手は、物語の様相をゲーム感覚へと持ってはいかない。物語から汲み出されるのは、その地で生きる人々が逡巡する思いや、現状を打破しようと生き抜く人々の溢れんばかりのパワーなのだ。逆境で生きる人間の、逞しさが発破されていく。
☆
美術は二村周作が担うが、精緻でしかもリアルに見える難民キャンプの倉庫を、アーティスティックな感性で表現し見事である。また、場を変幻させる小道具の使い方もアイデアがタップリで、サプライズ感が満載だ。大石真一郎が駆使する照明は、それぞれのシーンをクッキリと際立たせながらも、配色も控えめに、物語を一貫したトーンで取りまとめていく。しかも、そのシーンの切り取り方が、役者を見せるという演劇的な観点に寄り過ぎることのない視点が、物語全体を浮かび上がらせていくことに貢献している。
☆
小野寺修二の振付は、ダンスとも普通の動きともとれない曖昧な立ち振舞いが印象的だ。急にここからダンス・タイムですというような違和感がないため物語を照射することとなり、唐突さを感じさせることはない。スガダイローの音楽と演奏が、作品にライブ感を付与し、ステージと観客席を一体化させていく。そして、ペールの冒険譚にもピッタリと寄り添い、登場人部たちの感情や、世界の状態を切っ先鋭く斬り取っていく。
☆
タイトル・ロールを演じる内博貴は初見だが、演技の表現はストレートだ。中心に聳立する大黒柱的な存在として揺ぎ無いが、善悪や表裏の振幅が緩急自在に行き来できると、もっとペールの人生にも膨らみが出たのではないかと思う。前田美波里は、もはや、その存在自体がレジェンドであるが、あらゆるスキルをさりげなく動員し、縦横無尽にペールの母オーセを演じていく。身のこなしも若々しく、溌溂としていて、物語をサイドから牽引してく。
☆
何十年もの旅を経て、許婚が待つ故郷へとペールは帰還する。かつては皆若者であった友人たちも、今や老齢だ。しかし、いかんせん、若者が演じているということが見えるため、時間の経過がリアルに迫ってこないのが残念だ。
☆
物語もまた、避難シェルターへと帰着していく。と、冒頭で登場した、保育器が再び現れる。看護士が見守る中、子どもは死してしまったようだと、観る者にも伝わってくる。「邯鄲の夢」ではないが、過ぎ去った道程が走馬灯のように頭を掛け巡り、胸を突くものがある。“彼”は、夢に中で、世界中を旅しながら、様々な経験をしたのだなと。迫り来る砲撃が、より現実に真情を引き戻す。人生の切なさと喜びを、一瞬の内に凝縮して見せた現代のオデッセウウスを体感できる一篇だ。
|