劇評267 

観客を圧倒しながらも、観る者の心のシコリとなる置き土産をスッと差し示す秀逸な娯楽作。

 
「キレイ」

2014年12月7日(日) 晴れ
シアターコクーン 13時30分開演

作・演出:松尾スズキ
音楽:伊藤ヨタロウ
出演:多部未華子、阿部サダヲ、小池徹平、
尾美としのり、田畑智子、皆川猿時、
村杉蝉之介、荒川良々、伊勢志摩、猫背椿、
宮崎吐夢、顔田顔彦、少路勇介、町田水城、
伊藤ヨタロウ、家納ジュンコ、オクイシュージ、
松尾スズキ、田辺誠一、松雪泰子

   

場 : 初日が開けて3日目ですが、来場する観客たちが同作に向かう思いは、かなりホットな感じがします。劇場内に入ると、既に緞帳は上がっており、女神像に照明がフォーカスされています。

人 : 満員御礼です。2階席、3階席共、立ち見がギッシリと出ています。様々な人々が集っていますが、30〜40歳代位と年齢層はやや低めではないかと思います。劇場内は、期待感溢れる温かな空気が流れている気がします。

 2000年、2005年に次ぐ、松尾スズキ作・演出「キレイ」の再々演である。松尾スズキが創り上げる世界が、“世界”と地続きとなり活き活きと息づいていく。カスパーハウザーの如く10年もの間、地下に監禁されていたケガレと名乗る少女が物語の中心に聳立するが、タイトルに「キレイ」とあるように、「マクベス」の魔女の言葉なども呼応し、この世の矛盾を突く予感を彷彿とさせられていく。

 世は3つの種族が100年に渡って闘いを繰り広げているという時代背景が機軸となっているが、過去と未来との時空間がランダムに刺し嵌め込まれていくため、叙事詩のような壮大さを誇ってもいくことになる。しかし、壮麗な体裁を取ることなく、現実に生きている人々を下世話な地平で活写していくため、人間が内包する可笑し味が前面に出てコミカルな様相を呈し面白い。

 しかも、歌とダンスも擁するミュージカルでもある。これでもかと、エンタテイメントの要素を詰め込んだ、サービス精神満載の「キレイ」である。松尾スズキが、かつてシアターコクーンに乗り込んだ際に挑んだ溌溂とした意気込みが、これでもかと感じられるサービス精神が其処此処から溢れ出てくる。

 戦争は果てしなく続き、なかなか終焉を見出すことが出来ない袋小路へと追い詰められていく。初演から14年を経た現時点においても、そのメッセージの強度は弱まることはない。奇しくも再々演という時を越えて、人間が犯してしまう普遍的とも言うべき愚考さを、明らかに証明してしまうことにもなる。

 大豆を素材として作られた戦場で戦う兵士の存在が、近未来的な設定であると感じ入る。所謂ロボットなのではあるのだが、創作者の気まぐれで性器を持ったダイズ丸なる兵士が誕生し、ケガレと図らずも出会うことになる。性というファクターが持ち込まれることにより、人間という存在が戯曲の枠を超え、生々しくリアルに立ち上がってくる。

 ケガレを多部未華子が、成長したケガレを松雪泰子が演じると言うシーンが交互に入り混じる構成が、物語が拡散し過ぎる勢いを回避する。ある女性に物語が収焉していくため、流転する展開に感情を載せ易くなっていくのだ。ケガレは、戦場で銃弾を受け危篤状態となるが、5年後に目覚め、ミソギと名前を改める。重層的に仕掛けられた構造に、まんまと翻弄されていくことになるが、それも何故かしら心地良い。

 ケガレとミソギは、多部未華子と松雪泰子という女優の精神によって一つに連結する。決して時代に翻弄されることのないピュアさを保ちつつ、変異しながら逞しく生き延びていく姿は、まるで、生物の中から人間が勝ち抜いてきた生命力を誇っているかの様でもある。ダイズ丸を演じる阿部サダヲの軽妙さは作品の風通しを良くしながらも、観客が物語の術中に嵌る枷を取り払う客観性を作品に付与し、やはり稀有な存在なのだと認識していくことになる。

 小池徹平演じるハリコナの阿呆で底抜けな明るさは作品に元気を注入し、大人になってからのハリコナを冷静に演じる尾美としのりとの隔世の差をクッキリと際立たせ、ケガレ=ミソギの変わらぬ姿と対比していく。

 皆川猿時がしっかりとコメディ・リリーフの役割を担って笑いを噴出させ、田畑智子の上から目線の能天気なお嬢様振りが、ある種のクラス感を造形する。伊藤ヨタロウはアーティスト特有の独特な存在感を示し、登場するだけで場をさらう松尾スズキは、やはり圧巻だ。個性的なキャラクターが目白押しの座組みは、生のライブを堪能出来る楽しさに溢れ、楽しい限りだ。

 登場人物たち全ての存在が乱反射を繰り返しながら、それぞれが浮き立ち輝き合うという幸福さに満ち満ちて嬉々としてしまう。戦争の無意味さを、ケガレ=ミソギは一体どのように捉えているのかは、観客の想いに完全に委ねられていく。松尾スズキ一座による顔見世興行の様なこの賑々しさは、観客を圧倒しながらも、観る者の心のシコリとなる置き土産をスッと差し示す秀逸な娯楽作であった。


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