劇評244 

仕掛けられたブラックユーモアの術中に嵌る幸福感に浸れる上質の娯楽作。

 
「万獣こわい」

2014年3月16日(日) 晴れ
PARCO劇場 14時開演

作:宮藤官九郎 演出:河原雅彦
出演:生瀬勝久、池田成志、古田新太、小池栄子、夏帆、小松和重

   

場 : PARCO劇場のロビーには、贈られた花が沢山飾られています。賑々しくて楽しいですね。ロビーで歓談したり、ドリンクを飲んだりする来場者の姿は少なく、至って静かな雰囲気です。開演中に流れているB.G.M.がヒップで格好イイです。劇場内に入ると、舞台端に黒い緞帳が降りています。

人 : 満席ですね。お客さんは30〜40歳代の方々が中心な感じです。男性客比率が高いかな。一人来場者も多い感じです。演劇を見慣れた風の方々がこぞって来場してきている様な気がします。

 生瀬勝久、池田成志、古田新太の3人のユニット「ねずみの三銃士」の第3回企画公演というだけで、もう、観る前からワクワクする気持ちが抑えられない。演劇界のみならず、エンタテイメントの分野においても、活動の場を広げ続けているこの実力派俳優たちがこうして一同に居並ぶだけで、顔見世興行の様な賑々しさが暴発し華やかさ満開だ。

 ゲストで迎え入れられたのは、小池栄子、夏帆、小松和重の3人。旬の勢いある個性派俳優陣が、「ねずみの三銃士」とガップリと四つに組むキャスティングにも心躍る。しかも、戯曲は第1作目から手掛けている宮藤官九郎の手による新作だ。それを束ねるのは、河原雅彦。どんな世界が繰り広げられていくのかに期待感が高まっていく。

 「万獣こわい」と謳っているからであろう、シュールな笑いを織り込んだ落語のシーンをプロローグに据えるセンスがクールだなと思う。ここで「ねずみの三銃士」たちは、ひとしきり観客から笑いを引き出しつつ、本編へと物語は跋扈する。

 “洗脳”が終始、其処此処に散逸し、一見、ごくごく普通の生活者の中に、その毒素が染み入る様を俯瞰して描き、ブラックな笑いを振り撒いていく。こういう種類の可笑し味に照準を合わせてきたのかと、フフとほくそ笑む。

 昨今、ニュースを賑わすことの多い、監禁事件が本作のモチーフとなっている。かつて、少女が8年間監禁されていた場所から逃げ、とある喫茶店へと駆け込んでくる。そこで匿われる少女。その7年後に成長した少女が、助けてくれた夫婦の元に舞い戻って来るところから、物語は変調をきたしていく。そして、その少女を引き取った養父が現れることで、かつての“悪夢”が連鎖する幕が切って落とされた。

 喫茶店を営む夫婦は、生瀬勝久と小池栄子。夫の元妻の警察官の弟に小松和重。少女は、夏帆が、養父を古田新太が演じる。池田成志は、喫茶店の常連客という布陣で、ヒリヒリとする感情が横溢する、善意を逆さまから見た悪意の世界を、クドカンの筆致が生々しくもユーモアを孕みながらも粛々と描き衝撃的だ。

 人間が持つ柔らかい優しい側面に少しずつ侵食し、人心を取り込んでいく女を演じる夏帆の無垢な魔性振りが物語の台風の目となっていく。自ら手を下すことは決してせず、周囲からじわじわと侵食していく洗脳のやり口が、明晰に語られていく。常に、笑いの要素を含みながら。

 まずは、外界との交流を遮断する。そして、その中において恫喝となだめを交互に繰り出していく。そこに集う人々は、絶えず競争させられることで、誰よりも一番でありたいと願う思いを抱かされていく。しかし、離脱した際に、その他の人々が受ける報いを想起すると、手足を縛られたかのように、その空間から自ら脱出する勇気は潰えてしまうというプロセスが精緻に描かれ、舞台から目が離せなくなっていく。舞台の転換時などに用いられる、喫茶店の装置に投影される微妙にハウリングを起こしたかのような映像が、言語化出来ない不気味さを演出し印象的だ。 

 河原雅彦演出は、「ねずみの三銃士」をきっちりと物語の枠の中の住人として描くベースを設けることで、客演陣に思い切り弾けても貰うジャンプ台を用意する。俳優陣が物語を逸脱することなく、あくまでもそこで起こる出来事を語ることを遵守することが、人間の奥底に潜む毒をくっきりと炙り出す効果を示していく。作品全体のトーンと俳優陣とのバランスをキッチリと捉えた差配振りが、作品に繊細な色合いを付与させていく。

 生瀬勝久の右往左往する逡巡振りが振り撒く可笑し味、池田成志の飄々とした朴訥さ、古田新太の馴れ馴れしさと恫喝さとが共存する不気味さ、小池栄子の繊細さを併せ持った豪胆な存在感、善悪を行き来しながらその境界線を笑顔で消滅させる夏帆の不適さ、事の成り行きに突っ込んでいく部外者を当意即妙に形象する小松和重。俳優陣の個性がそれぞれ際立ち、技あり演技をじっくりと享受しながら、ああ、芝居を見ているのだなという満足感に浸ることが出来る。

 どす黒いリアルを直球で放射する宮藤戯曲を、熟練の技でガッシリと且つ余裕を持って受け止めユーモアへと転じさせることで、エンタテイメントとして成立させた「ねずみの三銃士」の才能に見惚れることになる。クセものの御仁が放つ毒気に中てられながら、そこに仕掛けられたブラックユーモアの術中に嵌る幸福感に浸れる上質の娯楽作に仕上がった。


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