劇評235 

ニール・サイモンへの愛とリスペクトに満ち溢れたじんわり心に響く感動作。

 
「ロスト・イン・ヨンカーズ」

2013年12月8日(日) 晴れ
神奈川芸術劇場・ホール 14時開演

作:ニール・サイモン
上演台本・演出:三谷幸喜
出演:中谷美紀、松岡昌宏、小林隆、
浅利陽介、入江甚儀、長野里美、草笛光子

   
   

場 : 本作は10月のPARCO劇場で初演を迎え全国を巡演し、神奈川芸術劇場・ホールでの本公演が最後の公演回となる日でした。劇場内に入ると舞台には真紅の緞帳が降りています。開演時間になると微かに音楽が流れ始め、観客をだんだんと劇世界へと誘っていきます。

人 : ほぼ満席ですが、若干の空席がありますね。お客さんは本当に様々な人々が集っています。これは同劇場の特徴だと思います。劇場が地元に認知され、馴染んできているということでしょうか。中には小学生のお子さん連れのご家族の姿も見受けられます。

 自作ではない戯曲の演出を幾つか手掛けた後、遂に、三谷幸喜は、ニール・サイモンに挑むことになった。多分、標榜する作家の一人であったであろうニール・サイモンに真摯に取り組む三谷幸喜の意気に、衿を正して対峙することになる。

  取り組むのは、1991年にブロードウェイで初演され、トニー賞4部門を受賞した「ロスト・イン・ヨンカーズ」。ニール・サイモンの自伝的要素が多いといわれている作品である。舞台は、1942年。ニューヨーク郊外にあるヨンカーズという地にある1軒の家で終始展開される、ある一家の物語である。

 三谷は戯曲の中に生きる人々としっかりと向き合い、その人々が日々、何を考え、悩み、そして、乗り越えているのかという姿を優しさを持って描いていく。そして、人の生き様なんて自分では悲劇だと思ってはいても、人々を見つめる俯瞰した客観的視点を持ち得ることで、まるで喜劇にすら見えるのだというアプローチが独特だ。言動の其処此処に人間の可笑し味を滲み出させ、それを融合、あるいは衝突させることで起きるのが「物語」なのだということを痛感させられることになる。

 物語は、明確に、台詞によって形作られていく。台詞を頼りに演者は物語を辿り、観客は交わされる言葉の応酬から、人間の喜怒哀楽を感受していくことになる。演劇の原点ともいうべき、奇を衒わぬ手法が駆使されていく。

 一家の大黒柱である祖母、ミセス・カーニッツを草笛光子が演じている。子どもたちに恐れおののかれている存在で、圧倒的なパワーを打ち放っていく。厳格ではあるのだが、子どもたちを騙すことで社会の厳しさを教えるといった風の、少々、ねじ曲がったところもあるクセの強いお婆さんだ。その老婆を、草笛光子は一縷の迷いもなく堂々と演じ抜くが、何故、彼女をそうさせたのかという核心部分に物語が言及していくと、今まで、鬼の様に見えていたミセス・カーニッツから心に傷を負った弱い部分が透けて見え、人間が抱える心の重荷の奥深さを垣間見させてくれる。

 次女ベラは中谷美紀が演じていく。少々、対人関係との接触に障害を持つ女性なのだが、ベラの優しい心根を伸びやかに発散させ、障害を一つの個性として捉える中谷美紀の好演がキラリと光る。異形の人としてではなく、役どころの中から魅力的な愛らしさをフューチャーさせていく。中谷美紀の個性と相まって、ベラは美しく輝いて見える。

  次男ルイを演じる松岡昌宏が魅力的だ。ヤクザな世界に足を突っ込んだ輩であるが、思わず恋い慕ってしまうような、親分肌の気風の良さが心地良い。しかし、妙に心優しい側面をも滲み出させ、緩急自在にルイという男を多面的に演じていく。松岡昌宏の資質が、よりこのルイにユーモアのニュアンスを付け加え、面倒だけど憎めない男を見事に造形する。

 長男エディを小林隆が、その息子ジェイとアーティーを浅利陽介と入江甚儀が、それぞれ演じていく。この3人が物語の語り部的な役割を担っていくのだが、個性を全開させる役どころが多い中において、一番観客との架け橋ともなるピュアな存在感で、逆に異彩を放つことになる。小林隆の優しい無心さ、浅利陽介の憤懣やるせない姿の可笑し味、入江甚儀の機転が利く小賢しい親和性などが上手くブレンドされ、劇世界に心地良い温度を与えていく。

 長野里美が長女ガートを演じるが、登場は2幕の後半からになる。厳格な母の躾のせいで、話が昂じてくると、息を吸って話せなくなるという病を今でも引き摺っている役どころである。その、吸い込みながら台詞を放つ光景に思わず爆笑してしまう。長野里美は、そんなことをものともせず、ごくごく平静を保ちながら様々な状況を難なく擦り抜けていく。それが可笑しい。

 皆がひと時を過ごすある期間を通じて、そこに集った皆が、何かしら過去の自分と折り合いをつけ、ささやかではあるが、今までとは違う自分を見つけ再出発するまでの軌跡を、細部に至るまで丁寧に三谷幸喜は描ききる。ニール・サイモンのテキストを得て、自らが筆致する世界をだぶらせていくような二重性が、観る者にはまた楽しい。ニール・サイモンへの愛とリスペクトに満ち溢れたじんわり心に響く感動作に仕上がった。