劇評233 

実験的な手法で、ヒリヒリとした若者の慟哭を描ききり絶品。

 
ザ・ファクトリー4
「ヴォルフガング・ボルヒェルトの
作品からの9章 -詩・評論・小説・戯曲より-」

2013年11月24日(日) 晴れ
彩の国さいたま芸術劇場[大稽古場] 14時開演

原作:ヴォルフガング・ボルヒェルト
構成・演出:蜷川幸雄
出演:さいたまネクスト・シアター

   

場 : 彩の国さいたま芸術劇場の大稽古場での、さいたまネクスト・シアターの公演である。自由席なため、早く来た順に列に並んで開場を待つことになります。会場に入ると、漆黒の稽古場の1角に設えられた雛壇状の観客席の中の空いている席に座ります。客数は100席位でしょうか。

人 :   満員のようですが、当日券も販売していました。客層は、出演者の縁者の方々が多い感じですが、演劇関係者が結構多い風でもあります。招待客席も多く設けられています。

 蜷川幸雄が劇団青俳時代に、稽古場公演として演出に取り組んだ最初の作品が同作。作者・ヴォルフガング・ボルヒェルトは、1921年、ドイツのハンブルグに生まれた。19歳の時に劇団に入るが、間もなく徴兵され対ソ戦線に赴いた。戦地で負傷し、ナチスの反対言動で投獄を繰り返し、終戦でフランス軍捕虜となるが、護送中に逃亡し、600キロの距離を歩いて故郷に帰還したという。

  作品には、自らが抱いた思いや、実際に経験した出来事などが反映されている。ギリギリにまで追い詰められた兵士であった作者が吐露する慟哭が、観る者にもヒリヒリとした触感を与えていく。この若者特有の繊細なアジテーションが、年齢を同じくするさいたまネクスト・シアターの役者陣の真情と上手くシンクロする。蜷川幸雄の意図が、見事に開花する。

 約100席程の自由席の観客席に座っていると、オープニングは大稽古場外の通路から始まる旨が係員から伝えられ、観客は通路に設えられた椅子席にてんでに着くことになる。すると、通路の彼方から、負傷した兵士たちがゆっくりとこちらに向かって歩み寄ってくる。心身共に疲弊した兵士が背負う苦悩が胸に突き刺さる。一行は、観客が座るエリアを横切り、舞台となる大稽古場の中へと入っていく。私たちも、係員の誘導により、会場内へと移動する。ほんの数分の出来事である。

 会場内に入ると、約20人程のメンバーが床に転がり、各人にはそれぞれに明かりが注がれている。美しい。そして、俳優陣が、ヴォルフガング・ボルヒェルトが描いた詩作の言葉を、其処此処で順繰りに語り始める。自分がここに生きているという事実を冷静に考察しながらも、自らが存在している在り様の不確かな曖昧さを吐き出すという、アンビバレンツな感情が綯い交ぜになり思わず各人の姿から目が逸らせなくなっていく。

 大きく二部構成になっており、一部は、戦時下に作者が綴った、詩・評論・小説の中に込められた様々な思いが、コラージュのように織り成されていくことになる。塹壕に潜んで周囲にいる名も知らぬ敵国の兵士を撃つ兵士2人の会話を、2組が順に演じることで、戦いの核に潜む虚無感を照射し合う手法が面白い。また、墓堀の青年が、もう墓を掘るのは嫌だとエスケープするパートも胸を打つ。衣服を全て脱ぎ捨て、将校たちの罵声を振り切り彼方へと立ち去っていく姿に、勇気と希望を見出すことになる。

 二部では、戯曲「戸口の外で」が演じられる。一部でも、墓守で印象的であった内田建司が、物語の中軸に立つ青年・ベックマンを繊細に演じていく。戦場から帰還し自宅に戻ると妻は間男と共におり、そこから抜け出しベックマンは街に出るが、そこで一人の娘と出会い、彼女の家へと赴くことになる。パートナーが不在である娘もまた、心に空洞が空いている。しかし、お互いのポッカリと空いた隙間は、ピタリと当てはまることなく、哀しい心の差異を引き出してしまうことになる。求めてはいるのに、求めているものが行き違うことの寂しさが辛い。娘を演じる周本絵梨香の熱情に心揺さぶられる。

  ベックマンがかつての上官が家族と食事をする席に乗り込むことで、物語はクライマックスを迎えることになる。自分の周りで死した者たちが、夢に出てきて忘れられないのだと上官を糾弾し始めるのだ。すると、ベックマンはアメーバのように増殖し、何人ものベックマンが登場し、それぞれに思いのたけを上官一家に叩き付けていく。

 きっと、世の中に、このベックマンはあまた居るに違いないのだ。蜷川幸雄は、それを多くの人間に託し具体的に可視化することにより、ベックマンが主張する言葉の重みに普遍性を与えていく。上官の家族は、多くのベックマンに包囲される。真偽や正義の概念が転覆させられることになる。

 あらゆる感情や行動が、様々な角度から切り取られていくことにより、ここで描かれる物語は世界と呼応する気さえしてくる。最後に、登場人物全員で、オープニングのシーンをリフレインする。同じテキストを語っていくわけであるが、何だか、あらゆる辛苦を舐めた後に聞くこの言葉の中に、当初は感じなかった微かな希望さえ立ち上るような気さえしてくる見事な幕切れだ。実験的な手法で、ヒリヒリとした若者の慟哭を描ききり絶品であった。


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