劇評223 

歌舞伎の未来を斬り拓く意気をヒシと感じる新鮮な歌舞伎公演。

 
「ABKAI 市川海老蔵第一回自主公演」

2013年年8月10日(土) 晴れ
シアターコクーン 17時30分開演


一、 歌舞伎十八番「蛇柳」 脚本:松岡亮
   振付・演出:藤間勘十郎
二、 新作歌舞伎「疾風如白狗怒涛之花咲翁物語。」
   〜はなさかじいさん〜
   脚本:宮沢章夫 演出:宮本亜門
   出演:市川海老蔵、片岡愛之助、片岡市蔵、
   上村吉弥、市川新十郎、市川新蔵、市川門松、
   中村梅蔵、市川福太郎、他

  

場 :  シアターコクーンのロビーは、何だか賑々しい雰囲気が充満しています。飲食コーナーには、寿司やもなかなど、通常とは違うメニューがラインナップされています。会場に入ると緞帳の替わりに定式幕が設えられています。

人 :   場内はほぼ満席です。お客さんは、やはり海老蔵目当ての歌舞伎ファンの方々が多い気がします。比較的一人来場者が多い気がします。男女比は、やや女性客の比率がやや高い感じでしょうか。

 一部の演目、歌舞伎十八番「蛇柳」は、現存する資料も少ない中での上演だったようだ。高野山に伝わる「蛇柳」の木を、海老蔵が実際に見たインスピレーションが創作する上での核になっているという。本も曲も新たに創り上げられた本作は、もはや新作とも言えるのではないだろうか。藤間勘十郎とのタグにより、シャープで小気味良い舞踊劇に仕上がった。

 助太郎と高野山の僧とのやり取りが展開される前半は、幽玄な雰囲気を湛えるが、助太郎がその本性を現す段になると、歌舞伎の外連味が俄然発揮され、助太郎が狂気を孕んで乱舞する様は、大いなる見せ場となっていく。クライマックスへとだんだんと上昇していく展開に身を任せ、海老蔵の意気に酔い痴れていく。

 二部は新作歌舞伎「疾風如白狗怒涛之花咲翁物語。」、脚本が宮沢章夫、演出が宮本亜門という、歌舞伎初手合わせの御仁が居並んだ。花咲かじいさんのおとぎ話が機軸となるが、そこに桃太郎伝説が絡み実に賑々しい展開となっていく。日本昔ばなしを材に取り、子どもから大人までが親しめるような歌舞伎を創るのだという海老蔵の想いがヒシと伝わり心地良い。

 海老蔵が演じるのは、何と“犬”であるところが本作最大のサプライズだ。本人は、枯れ木に花を咲かせるお爺さんを演じたかったというが、この意外性あるキャスティングに観客との親和性がグッと増すことになる。

 拾われた白い犬シロは、桃太郎に従い鬼が島を荒らして帰還した悪辣者と疑われ、面倒を見ている爺と婆が、シロの白い毛並みを赤へと塗り替える。“とりかえばや”的な要素や、差別、被差別の感覚が忍び込み、物語は流転する。

また、自然現象の影響により花が咲かなくなった地に、オーラス、花が咲き誇るというクライマックスに、“混沌”からの“希望”を見出していくことになる。9.11が、彷彿とさせられる。

 海老蔵は縦横無尽だ。犬を演じながらも、敵でもあるやさぐれた風体の得松爺や、最後に物語をキュと締める凛々しい将軍・貴寿公を嬉々として演じ分ける。海老蔵の様々な魅力が開陳され、自主公演ならではの魅力が堪能出来る。

 海老蔵だけが突っ走るのではなく、宮本亜門や宮沢章夫といった観客を楽しませる演劇のプロの視点が、本作では大いに活かされているのだと思う。それを受け入れ演じ手に徹する海老蔵であるが、従来の歌舞伎とは異なる手法で観客に歌舞伎を届け、楽しんでもらいたいという強い想いがヒシと伝わってくる。歌舞伎の裾野を広げつつも、踏襲してもいけるオーソドックスさを湛えるこのバランス感覚が、見事花開いた演目だと思う。

 片岡愛之助が人の良い正造爺を演じ、作品に良心を吹き込んでいく。上村吉弥のセツ婆とのコンビネーションも心地良く、片岡市蔵や市川新蔵のはみ出し者も作品にアクセントを与えていく。市川福太郎の無邪気に“蚊”を演じ、強い印象を残していく。誰もが、一見、善悪がはっきりとした役どころであるが、その人間の奥に潜む幾重もの想いを表出されていくため、様々な人間模様が複雑に絡み合い飽きることがない。

 新作歌舞伎の新鮮さ、今の観客に近い感覚を共有出来る面白さに満ちた作品であるが、このまま別の人が演じても成立するオーソドックスな普遍性も確実に獲得している。自主公演を謳い自らの魅力を全面に打ち出しながらも、歌舞伎の未来を斬り拓く意気をヒシと感じる新鮮な歌舞伎公演であった。ラストのまるでお祭り騒ぎのような弾ける賑々しさは、頭の中から離れることはないだろう。体験してしまった感動は、心の中に確実に残っていく。次代への継承をも睨むABIKAの動向から目が離せない。